ところで・・・
鱗宮交響曲は、100人の奏者を要し全曲アタッカ35分に及ぶ、拙作中では内容・規模ともに最大の作品。
昨年晩秋に始まった"産みの苦しみ"は、オーケストラの方々にとって、今振り返ってもおそらく想像を絶するものだったと思う。
芦屋交響楽団は、苛烈極まる作品の要求を真正面から受け止けるべく、長大な時間と労力と情熱とを、作品に注ぎ込み続けてくれた。
音楽への真摯なその姿勢は、言葉本来の意味で"プロフェッショナル"そのもの。
ようやく訪れた初演の時、最初の一音が呼び起こす波紋から、最後の壮絶なクライマックスに至るまで、一瞬たりとも途切れることなく、オーケストラが一つの生命のように息づいていた。
芦響団長・榎木氏が終演後いみじくもおっしゃったように、芦響の皆さんにとって、"産みの苦しみ"が"産みの喜び"へと劇的に変化した、のであれば、作曲家としてそれ以上の冥利はない。
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そして、その素晴らしき芦屋交響楽団を魔法のようなタクトで率いられた指揮者・
山下一史氏。
全ての楽譜を真に血肉化し、全身全霊で音に魂を籠めて、オーケストラに、そして全ての聴衆に言葉ではなく音楽で伝導する氏は、言うまでもなく、真のマエストロ。
当日、新作の前後に演奏されたメンデルスゾーン、そして何より入魂のシューマンは、人の心を揺り動かさずにはいない素晴らしい演奏で、私自身も何故か不思議に勇気づけられた。
「あなたは本当に幸運だ。芦響は温かい。オーケストラがここまで時間と労力を費やしてくれるという事はまずない事。そのことに、感謝すべきだ。」ことあるごとに氏は私に仰った。
練習の最中も、指揮者と作曲家の間には、ピリピリとした緊張が漂い、当然ながら最後まで、和気藹々といった風情とは無縁の関係。
その山下氏、全てが終わった打ち上げ二次会の席のたけなわ、最後まで残った団員を前に、熱を帯びた口調でしかし厳しさを崩さず、私を指してこのように仰った。
「音符をただ連ねる、なんてことは誰にでも出来る。そんな作曲家はゴマンといる。彼は音を本当に内側から紡ぐ事の出来る、数少ないホンモノの作曲家の一人だ。」
決して甘い賛辞ではない。これから打ち続く茨の道と、克服すべき幾多の課題を前にした私への、厳しい戒めの反語である、と受け取った。
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©HIRANO Ichiro 2010