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●「八幡縁起」初演のお知らせ
大分県宇佐市、宇佐八幡へと通じる古来の勅使道沿いに鎮座するのは、宇佐神宮末社・百體(ヒャクタイ)社。 別名・百太夫(ヒャクダユウ)社とも呼ばれるここは、傀儡子(クグツ)、即ち古来の木偶人形と深い縁で結ばれた神社である。 ところで、八幡神と傀儡子とは、オドロオドロしいまでの、濃厚な繋がりを有している。 伝説に曰く、 …720(養老4)年、朝廷の打続く"圧政"に耐えかねた隼人族は遂に、日向国・大隅国より起ち、古代史上最大ともいわれる大叛乱の狼煙を挙げる。対する朝廷は、即座に隼人征討軍を組織し、叛乱の鎮圧を謀る。軍神・八幡を奉る朝廷軍はしかし、誇り高く手強い隼人族に、意想外に手を焼く。 そんな折、朝廷軍に妙案が一つ。屈強ながら朴訥なる隼人軍を騙し討ちするために、此処は一つ面白い朝鮮渡来の伎芸・傀儡子を舞わせてみてはどうか。初めて見る傀儡子の面白さに、隼人どもは誘き出されてくるのではないか。 果たして、傀儡子を舞わせてみると、見事隼人はまんまと誘き出され、やんややんやと無邪気な喝采を送る。その油断につけ込んで、朝廷軍は一挙に攻め立て、とうとう隼人は一網打尽、皆殺しにされた。… 八幡神軍に殺された沢山の隼人の怨霊を鎮めるためにこの百體社は創建された、 伝説はそう伝えている。 養老年中宇佐ノ神軍を以て隼人を討ち平らげし時、此処に隼人ノ亡霊を祭れりしもの成りと云・・・(〜『太宰管内志』) この百體社からわずかに離れたところには、凶首塚。 愈々恐ろしい名をもつこの塚は、別名・隼人塚。 こちらもまた、養老年間の隼人の叛乱で殲滅された隼人の首を纏めて葬った、とされる場処。 もっとも学術的には、この塚は6世紀末の横口式石室を有する古墳とされ、隼人の墓という説は否定されているそうである。が、それが事実であるか否か、ということを脇においたとしても、この一帯の隼人の怨霊を巡っての伝承の濃さ、或いは幻想の鮮やかさ、即ち恐怖の烈しさには、ただならぬものがある。 何しろ、宇佐神宮の最大の祭礼の一つである宇佐放生会(…石清水はじめ列島各地に散見される"放生会"という祭礼の、日本における起源はこれである…)は、他ならぬ養老の大乱の隼人の怨霊を鎮める事、まさにそのために始まったというのだから。 さらにそこから目と鼻の先には、化粧井戸。 隼人の霊を慰めるため、かつて宇佐放生会にて行われた傀儡子舞の、その人形を洗う井戸、と伝えられる。 ※この傀儡子舞は、現在の宇佐放生会の中では行われていないが、八幡古表社・八幡古要社において伝承され続けている。 宇佐の地にはやはり、八幡神軍に調伏された南方の先住民・隼人の怨恨が、物狂おしく渦巻いているらしい。しかしその怨霊を鎮めることが出来るのも、当事者である八幡神自身でしかあり得ない。 八幡神は、ひたすらに怨霊鎮めの祭祀を営み続けるうちに、隼人の怨恨のエネルギーをすら呑み込み、その罪と穢を一身に背負って、いずれは神自ら"出家"し、竟には佛身・八幡大菩薩と成って行くのである・・・ が、それはもう少し先の話。 ↑八幡巡礼 〜高良社・太鼓祭〜 ↓八幡巡礼 〜薦神社・三角池〜 ©HIRANO Ichiro 2009 とひとまず終わったところで、 今少し余談を。 冒頭の百體(百太夫)社はその後、傀儡子の神から広く芸能漂泊民の神となって、兵庫県西宮市の廣田神社摂社・夷(ヱビス)社にも鎮座した。(西宮神社末社・百太夫社がそれである。) 人形遣い・傀儡師(クグツシ)の事を、別名「ヱビスまわし」ともいうように、夷信仰と百太夫信仰は次第に習合していった。 この西宮辺りを根城とする傀儡師たちの人形遣いの流れから、やがては文楽=人形浄瑠璃が生まれていった訳である。 江戸期の傀儡師たちは、人形を操る際に ソモソモ ニシノミヤノ エビスサブロオ サエモンノジョオー・・・ (そもそも 西宮の 夷三郎左衛門の尉・・・) という歌いだしで「傀儡師唱歌」なるものを歌ったそうな。(白水社刊:大和岩雄著『神社と古代民間祭祀』による) どこかで聴いたこの歌い出し・・・そういえば、かつて私が京都のとある文化祭典の折、地唄の名人H先生から集団レッスンで教わった、確か七福神という名の、愉快な地唄のはじまりと全く同じ! というのはさておき、 本年4月、石清水八幡宮の禰宜・西中道氏に同八幡宮の境内をご案内頂いた折、志多羅社のあった東門外とちょうど真反対の西門外に、かつては夷社・百太夫社が祀られていた、ということを知った。 八幡神が宇佐から京へと旅したのを追いかけるように、傀儡子の神もおそらくは別なルートを経て、ようやく同じ場所に辿りついた、という不思議。 門外とはいえ、 東に流行神(ハヤリガミ)たる志多羅神 西に漂泊芸能民の神たる百太夫 を祀るとは、八幡神はなんと懐の深い神であるか、と今更ながら思い知り、その神の背負える運命のあまりの重さに、こちらの気もしばし遠くなった次第。 ↑八幡巡礼 〜高良社・太鼓祭〜 ↓八幡巡礼 〜薦神社・三角池〜 ©HIRANO Ichiro 2009
by uramarebito
| 2009-12-11 01:33
| 探訪
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