モノオペラ〈邪宗門〉京都公演
モノオペラ〈邪宗門〉大阪公演
「郊外」
悄悄と我はあゆみき。
畑には馬鈴薯白う花咲きて、
雲雀の歌も夕暮の空にいざよひ、
南ふく風静やかに、神輿の列遠く青みき。
かかる日のかかる野末を。
嗚呼暮色微茫のあはひ、
笙すずろ、かなたは町の夜祭に
水天宮の舟囃子。----夕ごゑながら
乾からびし黄ぐさの薫、そのかみも仄めき蒸しぬ、
温かき日なかの喘息。
父上は怒りたまひき、
『歌舞伎見は千年のち。』と。子はまたも
暗涙せぐるかなしさに大ぞらながめ、
欷歔しつつ九年母むきぬ。酸ゆかりき。あはれそれより
われ世をば厭ひそめにき。----
〜北原白秋『第ニ邪宗門』
・ ・ ・
白秋の詩世界に珍しくも現れた、故郷・
沖端水天宮の祭囃子。
詩人の言を信ずるなら、
屈託なく間近に親しんだものというよりそれは、
舟舞台の芝居を厳格な父の制止に阻まれて、
やや遠くから垣間みる憧れの対象としてあった、ということのようだ。
あくまで、詩人の言をそのままに信ずるなら、ではあるが。
* * *
水天宮の祭囃子は、
舟舞台・三神丸の動きに対応して、
上り、留り、下りと呼ばれる三様の囃子から成る。
それ自体が祭の主役でありながら、
舟舞台で催される芝居の幕間を彩る、一種のリトルネロ、或いはプロムナードのような機能をも果たしている。
古くから長崎、天草との交流が盛んであった柳川・沖端にあって、
笛・太鼓・三味線による音調は"おらんだバヤシ"とも称されるように、
異国風の音調が溶け合った独特なもの。
中でも笛の奏でる旋律と三味線の奏でる調べとが、
音組織的にも律動的にも絶妙にズラされているせいか、
異国情調と懐古的気分、
或いは荒々しい鄙びと艶やかな雅びの混ざり合った、
得も言われぬ情趣を醸し出す。
* * *
賑やかしくもうら悲しいその囃子の音は、白秋の記憶の中にも、
故郷への愛憎と共に、鳴り響き続けたに違いない。
拙作モノオペラ〈邪宗門〉の中央に据えられた間奏曲〈阿蘭陀囃子〉は、
そんな詩聖の、故郷への追憶に寄せるオマージュ、でもある。
研修成果披露演奏会・モノオペラ〈邪宗門〉への道程
©HIRANO Ichiro 2011