「平野さん、書評、かきませんか?」家ごもりする四月なかば、叛骨の新聞社・京都民報の、音楽をこよなく愛する名物記者H山さんから、思いがけない打診をいただきました。
《校歌の誕生》(須田珠生著/人文書院)
そのタイトルを電話口で聞いて思わず「ええ?」と聞き返したくらい、ずっと気になっていたそのものズバリの、そしていま極私的に恐ろしくタイムリーな問題。ここのところ朝ドラ効果も手伝ってか、じわじわ話題の書となっているとの事。
ひとしきりアレコレ話した後「というわけなので、僕が書くとまあまあ変わったものになると思いますがよいのですか?」と聞くと「むしろ、まさに、それを!」と食い気味のご返事…というわけで、すっとんきょうな
〈ファンファーレ〉に始まる奇妙な書評が出来ました。
文章はひとまず「顔のない歌たちー《校歌の誕生》書評」として出稿。ゲラをみると想像以上に“攻めた”見出しがつきました。「A日やN経のデスクにこれはつけられないでしょ」とH山氏。なるほど書評であっても見出しは誇りたかき新聞の“顔”というわけか!
音楽についての言葉、という限界の向こう側に心の耳を澄ませると、いろんなものがざわざわと響く様が聴こえてくる。知らず知らず塞がれた耳をひらく…(社会も政治も音楽も芸術も人生も)大切な事はすべてに通じるとあらためて想います。
皐月のおわり、雨後の庭にはサツキの花。
※掲載号は5月31日付5面