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ある時代や社会体制が滅びる時、その時代と共に去る芸術と、時代を刻印しつつ後世に生き続ける芸術がある。
何が去り、何が残るのか。 答えを求めることは無謀かも知れないが、時代と芸術との間には切っても切れない深い繋がりがある、ということは間違いない。 しかもその繋がり方は、互いを素朴に反映する「平行」の関係とは限らない。 しばしばそれは「垂直」の、逆説としての関係でさえあり得る・・・。 ソヴィエト時代のロシアの作曲家達、中でもプロコフィエフの辿った遍歴について考えを巡らせていると、時代と芸術の間の、抜き差しならない関係に思い至った。 若き日のプロコフィエフは、何と言ってもディアギレフ率いるロシアバレエ団の黄金時代の担い手であり、最も先鋭なアヴァンギャルドとしての名声を博した作曲家だった。 そんな彼が1935年、ついに祖国ロシア(ソヴィエト)への永住を決意した時、ストラヴィンスキーをはじめとするかつての仲間達からは、大いなる変節として批難を受けることとなった。 当時ソヴィエト国家は「社会主義リアリズム」と称する芸術運動を推進しており、スターリンの独裁体制が強まるにつれ、「形式においては民族的、内容においては社会主義的」という方針の下にますます硬直化していく最中にあった。 帰国したプロコフィエフは、概ねその線に沿った作品を書き、次第に若い頃の挑発的な傾向は影を潜め、民衆にとっても分かりやすく、なおかつ高度に洗練された作品を模索し続けた。 プロコフィエフのソヴィエト復帰後の作品は、初期の先鋭な作品に比して、平明だが創造性に欠けたものとして、軽んじられることも少なくない。 しかしプロコフィエフの選んだ道は、果たして単に前衛からの妥協的撤退として片づけられるようなものだっただろうか。 国家による芸術統制ほど創造性と無縁なものはない、という論理は正しい。 しかし一方で、如何なる統制からも自由であろうとした戦後の西側の現代音楽界が、集団的陶酔を拒絶するあまり、一般聴衆の喪失と引替えに、音楽を個の表現媒体に自ら封じ込め、批評的言辞とその価値観に絡めとられて袋小路に陥ったのではなかったか。 いずれにせよ(東であれ西であれ)、社会と芸術との関係は、標榜されるお題目ほど単純ではないのだ。 プロコフィエフ自身が帰国したソヴィエトにおいて、何を見、何を考え、何をしようとしたのか、ということは到底測り知れないが、それでもなお、彼の夢見た理想の中には、何がしかの真実があったように思えてならない。 ソヴィエトという国家体制が滅んで十余年、あらためてプロコフィエフ晩年の音楽に耳を澄ますと、そこには、浅薄なプロパガンダ音楽とも、弁解がましいパロディとも違う、如何なる楽壇的常識とも無縁の生命力が溢れている。 国が滅びて、残った音楽・・・そこから聴こえてくるのは、決して実現することのなかった理想世界への澄んだ諦めのようでもあるし、同時に、決して失われることのない未来への展望のようでもある。 Copyright(C)HIRANO Ichiro.All rights reserved.
by uramarebito
| 2006-07-19 17:30
| その他
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