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2006年4月6〜7日、島根県は松江市美保関町にある美保神社を訪れた。
12月の諸手船神事と双璧をなす「青柴垣(あおふしがき)神事」に出会うためである。 それから半年も経ってしまったのは、その時感じた重い衝撃が、私の中で沈潜するのに、多少とも時間がかかったためである。 美保神社の青柴垣神事は、諸手船神事と並んで、記紀の「国譲り」神話に由来するともされる神事である。 ・・・高天原の使者タケミカヅチは、アマテラスとタカミムスビの命により出雲の稲佐の浜に降り立った。そこでタケミカヅチは、オオクニヌシに対し出雲の国の高天原への献上を迫る。判断に窮したオオクニヌシは、美保の岬で釣りをしている息子・コトシロヌシへと早船の使いを出し、意見を仰ぐ。コトシロヌシは出雲をアマテラスに献ずる事を進言しつつも、「天の逆手(あめのむかいで/あめのさかて)」を打ち、青柴垣にて入水し死する・・・ 以上が、いわゆる「国譲り」の顛末の一部。 この内、オオクニヌシの早船の使いがコトシロヌシの元へと向かう場面が、諸手船神事として演じられ再現されている、という。 一方の青柴垣神事は、出雲の国をアマテラスに献上することをオオクニヌシに進言したコトシロヌシが、「天の逆手」を打って船を青柴垣に変え、入水し自死する場面を再現するという。さらには天上にあるという高天原へと昇り、アマテラスへの恭順を誓う、という場面へと進むものである。 以下に、ごくごく不完全ではあるが、祭礼当日の流れを追ってみる。 (なお青柴垣神事の宵宮は、4月6日に行われる。12月に拝見した諸手船神事の宵宮と同様の儀礼がおごそかに行われる。) 前夜より会所に設えた大棚飾り。八咫烏(やたがらす)や杵を突く兎の姿も見える。 青柴垣神事の当日。 一の当屋(大御前:ミホツヒメ)、二の当屋(ニの御前:コトシロヌシ)は、それぞれ小忌人(おんど)、供人(ともど)を従えて、会所に設えた大棚飾りの前で「御解除(おけど)」の行列が始まるまで、ひたすらに瞑目する。この時から、当屋は既に深い恍惚状態にあるようだ。 その間、ササラをならす4人の子ども達が、美保関の路地を触れて廻る。 この一行が美保神社から出発し、7度半の往復が終ると、御解除の行列が始まる。 瞑目していた当屋が、大勢の一行と共に、天津神の使者を迎えるべく社殿へと向かう。もはや当屋は介添えなしに歩くことが出来ない。 社殿での儀式を終えるとすぐ、当屋一行は宮司や一年神主を向かえ、再び会所に戻る。これを御解除下向という。 このあと会所は再び閉じられ、その中で出雲の国を天津神に献上することを誓う、御解除の儀式が行われる。 御解除を終え、会所を出た当屋一行は、父オオクニヌシへと国譲りを進言すべく、宮灘に停泊する神船へと向かう。 神船は「天の逆手」によって青柴垣となっている。 二人の当屋は小忌人、供人を倶して各々の神船に乗り込み、その中で「御船の儀」が執り行われる。(中の様子は見えない。) この時当屋は、太陽神(アマテラス)、ひいては穀霊(ミホツヒメ)の霊威が籠る赤飯を饗する。更に化粧直しの儀を行って、神への再生を果たす。 再び着岸した宮灘は、俄に高天原となる。 アメノウズメとサルタヒコが一行を出迎え、社殿への道案内をする。 この時、供人や小忌人は、決して土を踏んではならない。 最後に当屋が神船を降り、高天原への大行列となる。 当屋一行が社殿に着くと「奉幣の儀」が行われる。 当屋は、アマテラスに謁見して恭順を誓う所作を行う。 以上が、ごく大雑把な青柴垣神事当日の流れである。 コトシロヌシの国譲りの進言と、青柴垣での入水、そしてアマテラスへの恭順の誓いが軸となっている。 この祭礼の解釈を巡っては、様々な説が飛び交っている。 中でも「天の逆手」の解釈(すなわち「あめのさかて」と訓ずるか「あめのむかいで」と訓ずるかを含む)が、学者研究者と、神社側の認識において大きく隔たっているようだ。 例えば谷川健一氏は、「天の逆手(あめのさかて)」とは左右の手の平を外側に向け、逆さまに打ち合わせる呪術である、と本居宣長が『古事記伝』で述べている、としている(〜谷川健一著/『出雲の神々』p.39)。 多くの民俗学者や古代史家が、同様に「天の逆手(あめのさかて)」を呪いの所作として解釈し、祭の中心を事代主の水葬儀礼としている。 心ならずも出雲の国を大和に奪われる時に、スケープゴートとなって、呪いながら自死したコトシロヌシの弔い、という訳であろうか。 一方美保神社の側はリーフレット『美保神社・祭事の由来』の中で、同じ本居宣長を引きつつ「天の逆手(あめのむかいで)」を、一本締めや三本締めといった商談成立の際のいわゆる「手打ち」、あるいは須らく縁起物としての「柏手」の原型である、としている。 コトシロヌシとオオクニヌシの賢明なる英断(神業)により、出雲の国は平和の裡に大和の一部となった、という訳であろう。 この二つの「解釈」は、一見絶望的に対立しているようでもある。 しかし、研究者でも何でもない私には、「呪いの所作」と「恭順の誓い」というものが、本当に同時に成立し得ないものなのか、と考えてみることも、強ち無駄ではない気がする。 そもそも「所作」というものは、所詮言葉等より遥かに高次な象徴であって、それを一つの意味に固定化すること自体、不毛な営みではないか、と思えなくもない。 (少しばかり飛躍して、現実に目を転じてみれば、この世にいわば「呪われた平和」というべき事態など、至る所にあるではないか・・・などと嘯いてみたくもある・・・。) ちなみに神事の際に入手した、美保関教育振興会、美保神社氏子会、神事奉賛会の三者によって発行されている『お祭りガイド』の但書に、以下のような言葉が掲げられていた。 ・・・出雲神話「国譲り」そのものの解釈の仕方によって、事代主神の恭順忠誠の御神業が歪められて報じられることへのいたたまれない気持ちから『お祭りガイド』(手引き書)を発刊する次第であります。(〜『お祭りガイド』/美保関教育振興会、美保神社氏子会、神事奉賛会発行) 私は、学者や研究者・文筆家が、自由自在に神話を解釈し、その都度様々な結論を導き出すことは、神話自体の価値や神々の宗教的権威を貶めるものとは、必ずしも思わない。むしろ様々な解釈が増えれば増える程、神話は重層的に成長し、ますますその価値を高めるものである、とすら思う。時には一見穿った解釈が、当たり障りのない表の意味よりも、遥かに迫真性を持つことも多い。 しかし一方で、祭礼や神事そのものを永々と守り伝えて来た当事者の、存在を賭けた言葉、というものが如何に重いものか、ということも強く感じる。 いずれにせよ、祭礼が内包する無限の多義性の豊饒に対し、学問が旨とする一義的な「解釈」というものの、どうにもならない脆弱さを、あらためて感じた次第である。 それは同時に、祭礼を「芸術」と、学問を「批評」と置き換えての、私の日々の実感とシンクロするものでもあった。 美保関からの帰路、恐ろしく重たい魂への圧迫、のようなものが襲ってきた。 それと同時に私の中で、どうにも揺るがしようのない奇妙な確信が芽生えた。 祭礼の中に潜む真実、それらが言葉の論理によって白日の下に晒される、ということは、決してないだろう。 Copyright(C)HIRANO Ichiro.All rights reserved.
by uramarebito
| 2006-10-07 17:05
| 探訪
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