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オスカー・ワイルド著、童話集『幸福な王子』(西村孝次訳/新潮文庫)の中に、「若い王」という一篇がある。
物語の主人公は、戴冠を目前に控えた若い王。 この若い王、幼い頃は自らが何者かを知ることなく、森の羊飼いに育てられ、みすぼらしい姿をしていたが、ある時、王の跡取りとして見いだされる。 彼のために用意された煌びやかな衣服や宝石の類いを見た瞬間から、若い王は美しいものへの異常な執着を顕す。 以降彼は、世界中の珍しいもの、美しいものの虜となった。 そんな若い王の心を、今最もとらえているのは、間もなく行われる戴冠式のための、金糸を織り込んだ衣服、ルビーを縫い付けた王冠、真珠を幾重にもつけた王錫(おうしゃく)なのである。 戴冠式の前の夜、若い王は三つの夢を見る。 一つ目は、僅かな日光の差し込む屋根裏部屋。 多くのやつれた織匠たちが悪臭と湿気と騒音の中で、貧困と屈辱にまみれながら、ある衣服を織っている。 その衣服に金糸が織り込まれているのに気付いた若い王が「君は何の衣服を織っているのかね?」と聞くと、織匠は答える。 「若い王さまの戴冠式のための衣服でさあ」 二つ目は、百人の奴隷が漕ぐ巨大なガリー船の甲板。 ぼろぼろの腰布一つの、互いに鎖で繋がれた奴隷たちが、重たい櫂を痩せた腕でかいている。 船が入り江につくと、一人の奴隷が選ばれ、鼻と耳に鑞を詰められ、腰に重しの大石を結わえられる。 奴隷は海に沈められた縄梯子を伝って、海中に沈み、しばらくすると、真珠を握って上がってくる。 それを何度も繰り返し、月のように美しい真珠が幾つも掬いあげられる。 しかし、潜水した奴隷の顔はしだいに青白くなり、とうとう甲板に倒れると、その耳と鼻から血が噴き出して死んでしまう。 黒人たちは肩をすくめ、その死体を海中に投じる。 するとガリー船の船長が笑いながら言う。 「この真珠を若い王さまの錫におつけしよう」 三つ目は、不思議な果物や美しい毒花の咲き乱れた暗い森。 森の中は、蝮のしゅうという音や鸚鵡の金切り声に満たされ、木の上には猿や孔雀が留り、熱い泥の上では大亀が眠る。 その森をようやく抜け出した若い王は、夥しい蟻のような人群れが、涸れた川床で穴を掘り、岩を砕き、砂の中に潜り込んで何かを捜しているのに出くわす。 そこでは「死」と「貪欲」が穀粒を奪い合い、「瘧(おこり)」「熱病」「疫病」が猛威を振るっている。 空には禿鷹が飛び回り、ジャッカルが砂地を走り回り、谷底のぬるぬるした泥の中からは竜や鱗のある怪物が這い回る。 若い王が涙を流して「あのひとたちは何を捜しているの?」と聞くと、後ろに立っていたものが答える。 「王さまの冠につけるルビーです」 ぎょっとした若い王が振り返ると、そこには銀の鏡をもった巡礼姿の男が立っている。 若い王が「どの王さまの?」と尋ねるとその巡礼は「この鏡をごらんなさい。そうすれば王さまを見せて進ぜよう」と答える。 若い王はおそるおそるその鏡を覗き込む。 そこに映っているのは他ならぬ自分の顔。 驚いた若い王はわっと叫んで目を覚ました。 戴冠式の当日、侍従たちが御衣と王冠と王錫を王の前にもってくる。 それを見た若い王は言う。「これらの品々を下げるがよい」 唖然とする一同に、若い王は昨夜見た三つの夢を語る。 それを聞いた廷臣らは囁きあう。 「わたしたちのためにこつこつ働いている連中の生活が、わたしたちとなんの関係があるというのだ?種をまく者をみるまでは、パンを食べてはいけないのかね、ぶどう作りと話をするまでは、ぶどう酒を飲んではいけないのかね?」 しかし若い王は、司教をはじめ誰の進言も聞き入れず、かつて羊飼いのもとで身に付けていた皮襦袢と羊の皮の上着を着、祖末な羊飼いの杖をつき、最後に野茨の冠を被って、祭壇の前にかしずく。 突然表通りに荒々しい騒ぎがおこる。剣を抜き楯をかざした貴族たちが叫びながら雪崩れ込んでくる。 「乞食みたいな格好をした王はどこだ。われらの国を辱めるあの子供は?なんとしても殺してやる、われらを支配するに値しない男だから!」 すると、彩色をした窓から光が若い王の上に注ぎ、あの御衣よりも美しい金紗屋の衣を織りはじめ、枯れた杖からは真珠よりも美しい白百合が、ひからびた茨からはルビーよりも美しい赤薔薇が咲く。 貴族たちや人民どもは畏怖にうたれ、青ざめた司教が叫ぶ。 「わたくしよりも大いなるかたが、陛下に冠を授けられた」 美しいものの来歴について語るこの物語、貧しいもの、泥にまみれたものの中にこそ真の「美」が湧く泉がある、というやや教訓めいたお話は、童話や民話の世界においては特別目新しいものではないかも知れない。 しかしそれが、「芸術至上主義者」たるオスカー・ワイルドの筆から紡がれたことを考えると、なんとも象徴的だ。 オスカー・ワイルドの母、スペランカことジェイン・ワイルドは、ウィリアム・バトラー・イェイツらとも活動を共にした、反英主義とアイルランド独立運動に繋がる、所謂ケルティック・ルネッサンスの闘士。 一方のオスカー自身は、アイルランド独立運動などに、決して積極的に関わったとは言えない。 むしろ「すべての芸術は表面的であり、象徴である」と語った彼にとっては、現実との直接的関わりが作品にパラレルに反映する、という考えは、最も厭うべきものであったに違いない。 しかし当の彼の作品を読めば読むほど、ワイルドの文学世界は、虚空に宙吊りになった単なる抽象的な絵空事などではなく、たとえ地に根差したとまでは言えなくとも、作品相応のいわば「影」のようなものを地面に深く濃く映し出してはいるのではないか、と思えてくる。 「芸術至上主義者」オスカー・ワイルドは、ニヒリズムの仮面を被りながら、物語の力によって現実を超越する、アイリッシュ・ケルトのストーリー・テリングの伝統と精神を、最も純粋に結晶化しつつ体現した作家であった、と言っても強ち間違いではないだろう。 その姿は例えば、母の故郷であるバスク地方の民謡によるピアノ協奏曲を手掛け、後にそれを破棄したモーリス・ラヴェルの姿とも幾らか重なる、かも知れない。 芸術至上主義と民俗伝承。 一見限りなく対極にあるこれらを繋ぐ、いわば見えざる臍帯を、この「若い王」の物語は密かに示唆している。 Copyright(C)HIRANO Ichiro.All rights reserved.
by uramarebito
| 2006-12-26 14:00
| その他
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