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モノオペラ〈邪宗門〉京都公演
モノオペラ〈邪宗門〉大阪公演 「郊外」 悄悄と我はあゆみき。 畑には馬鈴薯白う花咲きて、 雲雀の歌も夕暮の空にいざよひ、 南ふく風静やかに、神輿の列遠く青みき。 かかる日のかかる野末を。 嗚呼暮色微茫のあはひ、 笙すずろ、かなたは町の夜祭に 水天宮の舟囃子。----夕ごゑながら 乾からびし黄ぐさの薫、そのかみも仄めき蒸しぬ、 温かき日なかの喘息。 父上は怒りたまひき、 『歌舞伎見は千年のち。』と。子はまたも 暗涙せぐるかなしさに大ぞらながめ、 欷歔しつつ九年母むきぬ。酸ゆかりき。あはれそれより われ世をば厭ひそめにき。---- 〜北原白秋『第ニ邪宗門』 ![]() 白秋の詩世界に珍しくも現れた、故郷・沖端水天宮の祭囃子。 詩人の言を信ずるなら、 屈託なく間近に親しんだものというよりそれは、 舟舞台の芝居を厳格な父の制止に阻まれて、 やや遠くから垣間みる憧れの対象としてあった、ということのようだ。 あくまで、詩人の言をそのままに信ずるなら、ではあるが。 ![]() 水天宮の祭囃子は、 舟舞台・三神丸の動きに対応して、 上り、留り、下りと呼ばれる三様の囃子から成る。 それ自体が祭の主役でありながら、 舟舞台で催される芝居の幕間を彩る、一種のリトルネロ、或いはプロムナードのような機能をも果たしている。 ![]() 古くから長崎、天草との交流が盛んであった柳川・沖端にあって、 笛・太鼓・三味線による音調は"おらんだバヤシ"とも称されるように、 異国風の音調が溶け合った独特なもの。 ![]() 中でも笛の奏でる旋律と三味線の奏でる調べとが、 音組織的にも律動的にも絶妙にズラされているせいか、 異国情調と懐古的気分、 或いは荒々しい鄙びと艶やかな雅びの混ざり合った、 得も言われぬ情趣を醸し出す。 ![]() 賑やかしくもうら悲しいその囃子の音は、白秋の記憶の中にも、 故郷への愛憎と共に、鳴り響き続けたに違いない。 拙作モノオペラ〈邪宗門〉の中央に据えられた間奏曲〈阿蘭陀囃子〉は、 そんな詩聖の、故郷への追憶に寄せるオマージュ、でもある。 ![]() 研修成果披露演奏会・モノオペラ〈邪宗門〉への道程 ©HIRANO Ichiro 2011 ■
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by uramarebito
| 2011-01-19 12:07
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●「鱗宮交響曲」初演のお知らせ
毎春、出雲地方は島根半島の東端、松江市美保関町・美保神社にて行われる、 青柴垣(アオフシガキ)神事。 ![]() 大和への、出雲の〈国譲り〉を現した祭である、と謂う。 コトシロヌシは「天逆手(アメノサカテ/アメノムカイデ)」という所作をして後、青柴垣に身を籠めて、水底へと沈んでゆく。 ![]() 神の死と、国の終わり。 此の世でもっとも美しく、傷ましい祭。 祭の中、しばしば谺する警蹕(ケイヒツ)の音声。 ヲーーーォォォォォオーーーーーーーー ヲーーーォォォォォオーーーーーーーーーーー ヲーーーォォォォォオーーーーーーーーーーーーーーーーー・・・・・ 青柴垣神事での警蹕の音声、 私の内なる耳には、 大和に〈国譲り〉する出雲の神々と人々の、 曰く謂い難き万感が籠められているように響いた。 永遠の恭順か、 永遠の叛逆か、 答は神々のみぞ知る。 ![]() 私が初めてこの青柴垣(アオフシガキ)神事を訪れたのは、2006年春。 ピアノ五重奏作品「鱗宮」を作曲していた、その最中。 来る5月15日初演予定の鱗宮交響曲・第5章〈γ:水底乃式樂〉の音空間に、遠く深く耳を澄ませば、その記憶の遥かな谺が響いているかも知れない。 ©HIRANO Ichiro 2010 ■
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by uramarebito
| 2010-05-14 08:44
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●「鱗宮交響曲」初演のお知らせ
遥か海の旅の果て、 眼前に立ち顕われた、 無数の瓦が葺かれた伽藍の、 壮麗なる朱の甍(イラカ)を観て、 幻想の大魚か龍の脊鰭を連想しながら、 これぞワダツミノイロコノミヤ(海鱗宮)! と感嘆したかも知れない。 * * * そんな妄想もあるにはあった。 しかし、その後、龍神・蛇神蠢く蛇の道に知らず知らず進むに連れ、 吾が列島文化が産んだ鱗形(ウロコガタ)Δなる恐ろしげな象徴図像に、遭うわ遭うわ。 能・道成寺の白拍子の装束も鱗形なら、 ![]() 出雲は佐太神社・佐陀神能のヤマタノヲロチの装束も勿論、鱗形。 ![]() そういえば、ユーレイが必ずと言っていい程頭に付けているΔ三角頭巾、あれもやはり鱗形の変種? ![]() はたまた、とあるチラシの背景にも鱗形が。 ![]() 因みに「おん祭」で名高い春日若宮の仮殿には、無数の三角の咒符Δが、さながら鎧か帷子の如く、これでもかと貼付けてある。 極めつけは、 ![]() 京都太秦・蚕の社、 祈雨の池に佇む三柱の鳥居、 上から見れば見事に鱗形の結界を編む魔陣Δ、 これぞまさに水界から地上に突き出した、 もうひとつの鱗宮。 ならば我らが海中のワダツミノイロコノミヤ(海鱗宮)も、 ひとたび明るい海の陽光が翳り、 黄昏の支配する幽刻ともなれば、 三角Δの咒符が無数に貼付けられた、 鬼気迫る様相を呈しているのかも知れない。 神出鬼没の鱗形、次はどんなところで出遭うのか。 某曲初演の舞台上、ピアノ1&ハープ2の形成すトライアングルΔが、次成る鱗形の出没地点であるとか、ないとか。 ©HIRANO Ichiro 2010 ■
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by uramarebito
| 2010-05-12 22:32
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●「鱗宮交響曲」初演のお知らせ
![]() 吾が列島神話に登場する海の神々は、 なぜだか常に三神一体で現れる。 まずは、綿津見(ワダツミ)三神。 海を垂直に領域化するかの如く、 α:水面には 上津綿津見神 ウワツワタツミノカミ β:水中には 中津綿津見神 ナカツワタツミノカミ γ:水底には 底津綿津見神 ソコツワタツミノカミ 次に、住吉(スミヨシ)三神。 β:水中には 中筒之男命 ナカツツノヲノミコト γ:水底には 底筒之男命 ソコツツノヲノミコト そしてあのサルタヒコが、伊勢の阿耶訶(アザカ)の海辺にて漁のさなかに溺れ死ぬとき、 与えられる三つの異名。 α:水面では アワサク(阿和佐久) β:水中では ツブタツ(都夫多都) γ:水底では ソコドク(底度久) 成る程確かに、吾が列島の水面/水中/水底は、各々に各々の神の領域、であるらしい。 更には、宗像(ムナカタ)三女神。 こちらは海を水平に領域化するかの如く、 β:中津宮 市寸島比賣命 イチキシマヒメノミコト γ:奥津宮 多紀理毘賣命 タキリビメノミコト こちらの三女神、 某曲初演の舞台上、 泰西の弾琴・竪琴を携え、 水辺・水中・水底にて糸を紡ぐ、 三人の機織姫に身を窶して、 降臨するとか、 しないとか。 ![]() ©HIRANO Ichiro 2010 ■
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by uramarebito
| 2010-05-11 22:06
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●「鱗宮交響曲」初演のお知らせ
さて、 この度の芦屋交響楽団第73回定期演奏会、 その先駆けを任ずるのは、 メンデルスゾーンの名曲、序曲〈フィンガルの洞窟(ヘブリディーズ諸島)〉op.26 様々なケルトの伝説に彩られた、スコットランド北西部のへブリディーズ諸島、そこはフレイザーの金枝篇などにもたびたび登場する、西の涯の聖なる島々。 そのへブリディーズ諸島きっての名所が、フィンガルの洞窟である。 ![]() ![]() ※コチラは流石に未訪につき、写真をばwikiより引用させて頂いた。 フィンガルとは、太古のケルトの英雄の名。 旅人として洞窟を訪れたメンデルスゾーンは、遥か古のフィンガル英雄譚に思いを馳せつつ、寄せ返す潮の如きオーケストレーションをもって、印象主義の先駆ともいうべき絶品の序曲を仕上げた、という訳。 で、一方こちらは・・・ ![]() 島根半島北西部・出雲國は加賀(カカ)の潜戸(クケド)。 東の涯の列島の聖地、この洞窟に産まれた神は、吾が列島神話最大のトリックスター、サルタヒコ(猿田彦)。 このサルタヒコ、出雲の洞窟にて貝の女神=キサカヒメ(枳佐加比目売)より産まれ、様々な遍歴の末に、伊勢の阿耶訶(アザカ)の海辺にて漁のさなか、比良夫(ヒラブ)貝に挟まれてブクブクブクブクと溺れ死ぬ、ことになっている。 神話における大活躍の割に、合わない無様な死に方を与えられ、まことに気の毒極まりないが・・・ サルタヒコが溺れ死ぬとき α:水面では アワサク(阿和佐久) β:水中では ツブタツ(都夫多都) γ:水底では ソコドク(底度久) という三つの異名を与えられるのである。 猨田毘古神、阿耶訶ニ坐ス時漁シテ、比良夫貝ニ其ノ手ヲ咋ヒ合サエテ、海塩ニ沈ミ溺レマシキ。彼其ノ底ニ沈ミ居マス時ノ名ハ、底ドク御魂ト謂ヒ、其ノ海水ノ粒タツ時ノ名ハ、粒タツ御魂ト謂ヒ、其ノ泡サク時ノ名ハ、泡サク御魂ト謂フ。〜『古事記』上巻より〜 いずれにせよ、 洞窟というものは太古より聖なるモノの産まれる場所であり、神話の語り手から近代芸術家に至るまでの、想像力の大いなる源泉の一つであるらしい。 それにしても、 西涯の諸島の海の伝説に始まり、 東涯の列島の海の神話へ繋がる、 芦屋交響楽団第73回定期演奏会の前半プロ、 なかなかに因縁めいて愉しい、のではないか。 西と東、海と洞窟の、伝説と神話、 当日会場にお越しの皆様、 じっくりとお聴き比べの程を。 ©HIRANO Ichiro 2010 ■
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by uramarebito
| 2010-05-01 16:48
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●「鱗宮交響曲」初演のお知らせ
その"フナウタ"を織り上げつつ、三たび見た白昼夢。 兄ホデリノミコト=海幸彦に借りた大切な釣針を海に無くし、 海岸にて途方に暮れるホヲリノミコト=山幸彦。 何処からともなくふと顕われる、年老いた漁師・・・ に身を窶した、謎の翁=シオツチノオヂ。 水底への旅を希むホヲリに、 翁は藤蔓で編んだ籠舟=マナシカタマを与える。 海原を行く籠舟、水泡に霞む朱の甍。 ・・・・・ 海中の別世界=イロコノミヤに到着した天孫=ホヲリノミコトと、 それを迎える海神の娘=トヨタマビメの邂逅。 真水湧く水底の浜辺=ウマシオバマにて、 ホヲリとトヨの二人は歌でその愛を呼び交す。 後に永遠の別れを迎える時も、 二人はやはり同じ歌で呼び交すことだろう。 その相聞歌の二つの対照的な節回しが、 いつしか渾然一体となって、 遥か後の世、鄙の海人の"フナウタ"となる、ことになる。 二人が初めて愛を呼び交す時、 その遥か水面には、凪の入江に舟を浮かべる年老いた漁師・・・ に身を窶した、謎の翁=シオツチ。 函眼鏡で海中を覗いては、釣り糸を垂れる。 彼はさり気なく、唄い馴らした鄙の"フナウタ"を口ずさむ、振りをする。 口ずさむその旋律は、 今まさに海中で邂逅せんとするホヲリとトヨの愛の呼び交しが、 そしていずれ訪れるホヲリとトヨの永遠の別れの相聞歌が、 あらかじめ封じ籠められた"フナウタ"。 時折、函眼鏡で海中を覗くのは、 彼の仕組んだ"物語"が、恙なく運んでいるかを、確かめるため。 函眼鏡から顔を上げると、翁はほくりと北叟笑み、 ふと振り返って、私を見た。 その顔は・・・武内宿禰であった。 鱗宮交響曲-第1楽章"舟歌"、その中程に登場する、チェロ独奏が奏でる"フナウタ"。 その旋律は、吾が列島の浦々に伝わる海人の歌の、その精神に倣って作曲したものである。 閑話終題。 古代の歴史家は、"事実"という体裁で、愉楽に満ちた"虚構"を我々に与えてくれた。 かたや現代の小説家は、"虚構"という建前の下、退屈極まる"事実"を差し出すばかり。 The ancient historians gave us delightful fiction in the form of fact; the modern novelist presents us with dull facts under the guise of fiction. 〜オスカー・ワイルド :"意向集"より"嘘の衰退" 〜 〜Oscar Wilde: "The Decay of Lying" from "Intentions"〜 (一)に戻る ©HIRANO Ichiro 2010 ![]() ■
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by uramarebito
| 2010-04-22 23:13
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その"フナウタ"を手繰り寄せつつ、再び見た白昼夢。
海中の別世界を訪問する天孫=ホヲリノミコトと、 それを迎える海神の娘=トヨタマビメの邂逅。 真水湧く水底の浜辺にて、二人は歌でその愛を呼び交す。 その相聞歌に織り込まれた、二つの対照的な節回しが、 いつしか渾然一体となって、遥か後の世、鄙の海人の"フナウタ"となる。 遥か後の世、凪の入江に舟を浮かべる年老いた漁師。 函眼鏡で海中を覗いては、釣り糸を垂れる。 彼は何気なく、唄い馴らした鄙の"フナウタ"を口ずさむ。 かつて本当に起こり、美しい神話となった出来事が、 その旋律に封じ籠められている、とは知らずに。 否、もしかするとその老漁夫、実は全てを"知っている"のかも? (三)に続く (一)に戻る ©HIRANO Ichiro 2010 ![]() ■
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| 2010-04-21 22:11
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●「鱗宮交響曲」初演のお知らせ
The ancient historians gave us delightful fiction in the form of fact; 〜オスカー・ワイルド :"意向集"より"嘘の衰退" 〜 〜Oscar Wilde: "The Decay of Lying" from "Intentions"〜 * * * 鱗宮交響曲-第1楽章"舟歌"、その中程に登場する、チェロ独奏が奏でる旋律。 その旋律を紡ぎ出しつつ、しばしば見た白昼夢がある。 あるいは、作曲の真っ只中に現れたその白昼夢が、繰り返し現れる毎に綾をなし織を深め、神話と民間伝承と、それに吾が妄想とを絡め取って、ついに一つの旋律に昇華した、とも言える。 神話的思考に特有の、融通無碍なアナクロニズムに縁取られた、荒唐無稽な物語の断片、 しばしご容赦の程を。 凪の入江に舟を浮かべる年老いた漁師。 函眼鏡で海中を覗いては釣り糸を垂れる。 彼は何気なく、唄い馴らした鄙の"フナウタ"を口ずさむ。 素朴極まるその旋律には、 かつて本当に起こり、いまや神話となった出来事が、 封じ籠められている、とも知らずに。 (ニ)に続く ©HIRANO Ichiro 2010 ![]() ■
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| 2010-04-20 01:10
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●「鱗宮交響曲」初演のお知らせ
因みに・・・ 拙作鱗宮及び鱗宮交響曲の第2楽章は、他ならぬ「挽歌(ヒキウタ)」。 最後に、ピアノ五重奏作品「鱗宮」初演の際の体験をば一つ。 第2楽章"挽歌"の最後の場面、第二ヴァイオリンとヴィオラが最後の一音を、名残惜しげに"抛擲"するところ。 沖へと曵いて来た精霊舟を、ゆっくりと潮へと押し流す。 それも、おそらくは、最も大切な魂を乗せた舟。 愛する者(霊)との永遠の別れを、自らの手によって執り行う、 アンヴィヴァレンツに満ちたその重い手応え。 初演に向けてのリハーサルの最中、 ふと、第二ヴァイオリンの木下真希さんが一言。 「平野さん、この最後の音、ダウン・ボウと書いてあるけど、アップ・ボウでもいい?」 ・・・何気ないその言葉に、ハッとした。 通常であれば、重いテヌートののち限りなく弱まり遠のいていくその音には、弓を根元から先端へと使い、圧力を徐々に弱めるダウン・ボウ(down bow/下げ弓)が相応しい、はず。 しかし、 精霊舟をゆっくりと潮へと押し流す。 アンヴィヴァレンツに満ちたその重い手応え。 愛する者(霊)との永遠の別れを自らの手によって執り行う、矛盾に満ちたその"行為"は、易々と漸弱し得るダウン・ボウではなく、荘重に繰り出される只一つのアップ・ボウ(up bow/上げ弓)と、何故か限りなく相似である、ということ。 もしかすると奏者にとっては、あらためて言うまでもない、至極当然の実際的な判断であったのかも知れない。 が、作曲者の私にとっては、プレイヤーの鋭い直観力に啓示を受ける瞬間、そして何より、音楽が時に限りなく"祈り"に似る、という神秘を実感する瞬間、であった。 文字通り、只一つのボウイング=所作によって、音に"全て"が封じ籠まれた、のだから。 (一)に戻る ©HIRANO Ichiro 2010 ![]() ■
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by uramarebito
| 2010-04-04 10:00
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●「鱗宮交響曲」初演のお知らせ
ところで・・・ 柩を送る歌である"挽歌"が、何故か海のイメージと結びつく。 そうした奇妙な感覚は、必ずしも、吾が列島だけのものとは限らないようで・・・ ウィリアム・バトラー・イエイツ編『ケルト妖精物語』(井村君江編訳/ちくま文庫)所収、T・クロフトン・クローカー著「フローリイ・キャンティロンの葬式」に、こんな場面がある。 真夜中をだいぶ過ぎて、月が海に沈みかけたときだった。 海の重々しく空恐ろしい唸りの中に、だんだんとはっきりしてくる何人もの声が聞こえた。 彼は耳をすませた。 するとほどなく、えも言えぬ、美しい「泣き歌」を聞き分けることができた。 その歌声は、波の上下に合わせて起こっては消え、また、波は、その調べに伴奏をするかのように、一体となって深い呟きを発するのであった。 ・・・・・・ それから、また悼いの歌を唱いだすと、彼らはやってきた波に乗って柩の後を追っていった。 嘆きの声は消えてゆき、最後には、ただ波の砕ける音が聞こえるばかりだった。 柩と海の一族の行列は、古い墓地へと沈んでいった。 この一文と出会った時、ケルトの海の原風景と、日本海の原風景とは、私の中でぴったりと合わさった。 そして、アイリッシュ・ケルトを片方のルーツとするあのラフカディオ・ハーンが、何故あれ程にも出雲をはじめとする吾が列島文化に魅せられたのか、その共振の理由が分かった、ような気がした。 因みに・・・ (三)に続く (一)に戻る ©HIRANO Ichiro 2010 ![]() ■
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by uramarebito
| 2010-04-04 09:56
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