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空也堂極楽院は、京都の堀川蛸薬師を東に入ったところに佇む寺院である。
平安時代の「市聖(いちのひじり)」、空也上人が念佛道場として創建した、とも伝えられる。 この空也堂、世間の仏教への固定観念を悉く裏切る希有な寺である。 何より、御住職の石田定顕氏が極めて個性的。 飄々としたお人柄の石田氏、実はつい昨年度まで京都大学農学部教授で、モンゴルにおける畜産を長きに渡って実践・研究されて来た方でもある。 一年に一度、空也忌の際に穏やかな声で訥々と語られる法話も独特だ。 いわゆる「お坊さん」とは一味違う、何か澄み切った認識が一筋貫かれたお話をされる。 この空也堂、ふらりと立ち寄ってもまず開いているためしがない、という点でもある意味有名で、観光に熱心な京都の多くの寺院とは一線を画している。 かく言う私も、2001年の空也忌に至るまで、十数回に亘って接触を試みたが叶わなかった。(同様のエピソードが滝沢解氏の『空也と将門』にも登場する) 現在この空也堂で、長く途絶えていた歓喜踊躍念佛(かんぎゆやくねんぶつ)を復活させよう、というプロジェクトが密かに進行している。 石田定顕氏の長年の意向を基盤にしつつ、2002年の空也忌のあたりから、毎年空也に引き寄せられるようにやってくる幾人かの間で、そんな計画が呟かれ始めたように記憶している。(私もそれを呟いた一人ではある。) まずは岐阜や大垣別院に今も伝承されている空也堂系踊躍念佛を伝習しようと、空也念佛に詳しく空也堂に長く関わってこられた日本史学研究者(国学院大学栃木短大教授)の菅根幸裕氏を中心に、練習を開始した。 しかし何分にも長年に亘って口承で伝わった念佛、味わいあるこぶしに彩られた素晴らしい名調子ではあるが、ある種のマニエリスム的な複雑さも否めない。 我々が伝習するためには、一度、リファインする必要がある。 そこでその原型を炙り出すべく、聞き取り、五線譜化するという役目を、私が担うこととなった。 この作業、初めは非常な困難を伴った。 しかし次第に進行するにつれ、念佛の文句と音楽、そしてそれを受け持つ導師と大衆とが絶妙に呼応しあう、見事とも言える構成が鮮やかに甦って来て、いつの間にか夢中になるほどのものであった。 こうして動き出した、現代の空也堂・歓喜踊躍念佛復活プロジェクト。 遠くは栃木や東京から集まってくる、「空也」というただ一点で繋がった、ある種奇妙な、しかし得難い仲間達の念佛の集いが、年に数回、京都の市井でひそやかに行われている。 まだまだ完全復活には時間がかかりそうではあるが、今も確実に(?)一歩一歩前進しているところだ。 (去る5月7日(日)、京都新聞朝刊の一面に「空也念仏 再び踊躍」という見出しにて報じられた。) 因みに、無伴奏ヴァイオリン曲「空野」から始まった、私の日本版「死の舞踏DANSE MACABRE」シリーズもまた、この出逢いを大きな契機として、多くの未踏の計画を孕みつつ、密かに進行中である。 ![]() Copyright(C)HIRANO Ichiro.All rights reserved. ▲
by uramarebito
| 2006-05-09 13:48
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