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●「鱗宮交響曲」初演のお知らせ
遥か海の旅の果て、 眼前に立ち顕われた、 無数の瓦が葺かれた伽藍の、 壮麗なる朱の甍(イラカ)を観て、 幻想の大魚か龍の脊鰭を連想しながら、 これぞワダツミノイロコノミヤ(海鱗宮)! と感嘆したかも知れない。 * * * そんな妄想もあるにはあった。 しかし、その後、龍神・蛇神蠢く蛇の道に知らず知らず進むに連れ、 吾が列島文化が産んだ鱗形(ウロコガタ)Δなる恐ろしげな象徴図像に、遭うわ遭うわ。 能・道成寺の白拍子の装束も鱗形なら、 ![]() 出雲は佐太神社・佐陀神能のヤマタノヲロチの装束も勿論、鱗形。 ![]() そういえば、ユーレイが必ずと言っていい程頭に付けているΔ三角頭巾、あれもやはり鱗形の変種? ![]() はたまた、とあるチラシの背景にも鱗形が。 ![]() 因みに「おん祭」で名高い春日若宮の仮殿には、無数の三角の咒符Δが、さながら鎧か帷子の如く、これでもかと貼付けてある。 極めつけは、 ![]() 京都太秦・蚕の社、 祈雨の池に佇む三柱の鳥居、 上から見れば見事に鱗形の結界を編む魔陣Δ、 これぞまさに水界から地上に突き出した、 もうひとつの鱗宮。 ならば我らが海中のワダツミノイロコノミヤ(海鱗宮)も、 ひとたび明るい海の陽光が翳り、 黄昏の支配する幽刻ともなれば、 三角Δの咒符が無数に貼付けられた、 鬼気迫る様相を呈しているのかも知れない。 神出鬼没の鱗形、次はどんなところで出遭うのか。 某曲初演の舞台上、ピアノ1&ハープ2の形成すトライアングルΔが、次成る鱗形の出没地点であるとか、ないとか。 ©HIRANO Ichiro 2010 ▲
by uramarebito
| 2010-05-12 22:32
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●「鱗宮交響曲」初演のお知らせ
![]() 吾が列島神話に登場する海の神々は、 なぜだか常に三神一体で現れる。 まずは、綿津見(ワダツミ)三神。 海を垂直に領域化するかの如く、 α:水面には 上津綿津見神 ウワツワタツミノカミ β:水中には 中津綿津見神 ナカツワタツミノカミ γ:水底には 底津綿津見神 ソコツワタツミノカミ 次に、住吉(スミヨシ)三神。 β:水中には 中筒之男命 ナカツツノヲノミコト γ:水底には 底筒之男命 ソコツツノヲノミコト そしてあのサルタヒコが、伊勢の阿耶訶(アザカ)の海辺にて漁のさなかに溺れ死ぬとき、 与えられる三つの異名。 α:水面では アワサク(阿和佐久) β:水中では ツブタツ(都夫多都) γ:水底では ソコドク(底度久) 成る程確かに、吾が列島の水面/水中/水底は、各々に各々の神の領域、であるらしい。 更には、宗像(ムナカタ)三女神。 こちらは海を水平に領域化するかの如く、 β:中津宮 市寸島比賣命 イチキシマヒメノミコト γ:奥津宮 多紀理毘賣命 タキリビメノミコト こちらの三女神、 某曲初演の舞台上、 泰西の弾琴・竪琴を携え、 水辺・水中・水底にて糸を紡ぐ、 三人の機織姫に身を窶して、 降臨するとか、 しないとか。 ![]() ©HIRANO Ichiro 2010 ▲
by uramarebito
| 2010-05-11 22:06
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●「八幡縁起」初演のお知らせ
放生会三日目。 和間神社から宇佐神宮への還幸行列である。 午後に出発した行列は神道を辿り、夕刻になって神宮へと到達する。 還りの神輿一行は表参道からではなく、 宇佐鳥居(=八幡鳥居)も美しい西側の入り口、 ![]() 天浮橋を彷彿とさせる風雅な呉橋の、その脇の神橋を渡って、 ![]() 表参道と西参道が交差する辺りで、 神輿の到着を知らせる最後の楽打を行う。 神輿は、本殿前の石段下にて、しばし休憩。 ![]() 道行囃子に彩られた賑やかしい行列は此処まで。 神輿の担ぎ手ら祭礼の参加者達は、静々と本殿へと赴き、 ![]() 厳かな式典にて、祭の昂りを鎮め、浄化される。 ![]() 全ての神事が終わる頃、 すっかり暮れた秋の日に変わり、 広大な宇佐神宮の境内は、 ![]() 清澄な月の光に洗われていた。 ↑八幡巡礼 〜石清水の、細男舞〜 ↓八幡巡礼 〜宇佐放生会 第二日〜 ©HIRANO Ichiro 2009 そんなこんなで宇佐放生会の三日間は無事終了したのだが、 本題とは別に、この旅の途上、不思議な出会いが二つ。 一つめは初日、和間神社での祭礼の後、生来の方向音痴で道が皆目分からなくなり、すっかり途方に暮れた私を、宿まで車で送り届けてくれたKさん。 祭の役員をされているKさんは、かつて北九州の八幡製鉄所に勤めていた、という。 私が、放生会に出会いに京都から来た、明日は駅にレンタカーを借りに行くつもり、と話すと、 「お前、明日も祭にくるのか?」とKさん。 「はい。」と私が応じると、翌朝早く宿まで迎えに来て下さる、との事。 明くる朝、約束通り私の宿まで車で迎えに来て下さったKさん、私を見るなり、 「お前ちょっと運転してみイ。」 「はあ・・・」と私も何やら分からずながら、とりあえずしばし運転してみたところ、 「ン、大丈夫。今日の祭が終わったら午後からずっとこの車、自由に使いなさい。キープレフト、な。」とKさん。 てな訳で、私はその後の一日、福岡県南部から国東半島に至るまで、予定を遥かに上回る八幡巡りの行程を、無事完遂することが出来たのである。 私自身の厚顔無恥なる断り知らずはさておいて、見ず知らずの他人に尽くして下さったKさんの温かさと、宇佐人の"異人歓待"の心意気に、密かに胸を熱くした次第。 もう一つは、地産地消をモットーとする宇佐ならではの料理旅館・菊水旅館での一夜。 当館自慢の"ねぎしゃぶ"に舌鼓を打ち、祭の余韻に浸りつつ、そろそろ寝よか、と準備しはじめた頃、襖がトントン。 「お隣のお三人さんが、ご一緒にお酒を、とのことですが、如何なさいますか?」 と仲居さん。 昔話にもあったよな、何となく恐ろしげな、泉鏡花風シチュエーション。 とはいえそんな経験は望んでも出来ないもの、 「はあ、ではご一緒させて頂きます。」と、相変わらず断り知らずな私。 お隣の部屋に入ると、風格ある初老の男性一人と、素敵なマダムが二人。 (そういえば八幡三神も、男神一人に女神が二人だったかな?)などと靄々考えていると、その"女神"のうちのお一人が、私の顔を見るなり、 「御安心なさい。あなたは卑弥呼によって守護されています。実は卑弥呼はここ宇佐神宮の池の畔、大樹の根元に眠っています。いま卑弥呼が私を通して伝えています。『あなたがこれから成し遂げるものが、危機を迎える日本の人々に、大きな勇気を与えることでしょう。』」 と莞爾(にっこり)、不思議な託宣を下された。 作家としては願ってもない、有り難き内容ながら、いやいや、これを契機に何かしら勧誘でも始まるか・・・と一沫の不安も過りつつ、その後の会話も何が無し霞がかった不思議な調子、最後は、 「では遅いですので、そろそろ休むと致しましょう。明日はどうぞ良い旅を。」と呆気なく、 私の"八幡三神"は、誰一人、名乗る事もなく去って行かれたのであった。 と言うのは嘘、みたいな本当の話。 ↑八幡巡礼 〜石清水の、細男舞〜 ↓八幡巡礼 〜宇佐放生会 第二日〜 ©HIRANO Ichiro 2009 ▲
by uramarebito
| 2009-12-29 08:26
| 探訪
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●「八幡縁起」初演のお知らせ
大分県中津市、神嶺・八面山を望む大貞地区に鎮座する、薦(コモ)神社。 ![]() 八幡三神(応神帝/比咩大神/神功皇后)を祀り、別名大貞八幡宮とも呼ばれる。 宇佐神宮を始め多くの八幡宮に見られる三つ巴とは違い、コチラの紋は珍しい一つ巴(ともえ)。 ![]() 由緒眩しいその社殿の傍らには、 三角池(みすみいけ)という、鬱蒼たる水辺が広がる。 ![]() 否むしろ、広大な神池の懐に、社殿が抱かれている、というべきか。 というのも実は薦社の"内宮"は、他ならぬこの三角池。 社殿の方は"外宮"とされているのだ。 それほどまでに重んじられるこの池には、こんな来歴がある。 713(和銅6)年、時の朝廷は、なかなかにマツロわぬ民であり続ける南方の先住民・隼人(ハヤト)族を、いわば分断統治するために、日向国から新たに大隅国を分国する。こうして出来た大隅国の隼人を"啓蒙"し"教導"するために、翌714(和銅7)年、朝廷は豊前国から総勢200戸の民を大隅に移住させる。 その6年後の720(養老4)年、打続く"圧政"に耐えかねた隼人族は遂に、日向国・大隅国より起ち、古代史上最大ともいわれる大叛乱の狼煙を挙げる。対する朝廷は、即座に隼人征討軍を組織し、叛乱の鎮圧を謀る。 この時征討軍により奉られたのが、八幡神。 朝廷にとっては頼もしき、隼人にとっては恐ろしき軍神(イクサガミ)たる八幡神を担いでの、勇壮にして無残な大行列。 その八幡神の居わす神輿に、この三角池に産する真薦(まこも)で造られた枕形の御験が御神体として載せられた、 というのである。 ※すべからく神輿によって神が移動するということの、そもそもの起源が、この薦枕に依った八幡神の神輿にある、とする説すらある。 ![]() 因みにこの薦枕は、その後も6年に一度新造され、宇佐地方の八幡八ヶ社(田笛社→鷹居社→瀬社→泉社→乙咩社→大根川社→妻垣社→小山田社)を経て、最後は宇佐神宮本殿へと到達、6年間のお役を終えた古い薦枕は、国東半島の東の果ての奈多宮から、海に流される。 薦刈りの神事に始まるこの一連の神事を再現するのが、宇佐神宮・行幸会。 私が訪れたのは、昨秋のとある好日。 遥か八面山より流れ湧く水をたたえた、その池の面には、壮烈な定めを背負った軍神・八幡の、そのはじまりの面影が、今もうらうらと漂っている。 ![]() ↑八幡巡礼 〜百體社・凶首塚・化粧井戸〜 ↓八幡巡礼 〜石清水八幡宮 其参〜 ©HIRANO Ichiro 2009 ▲
by uramarebito
| 2009-12-09 12:31
| 探訪
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●「八幡縁起」初演のお知らせ
こうして最後に訪れたのが石清水社。 八幡神の鎮座する前より祀られた、男山では最も古い神であると謂う。 ![]() ここは丁度山腹の、奥深い森の中。 本殿辺りとも麓とも違う、清々しい冷気と凄みを帯びた霊気が漂う。 今度こそ、全ての摂末社の巡拝を終えた、と一息ついて石清水社に背を向け、山を降りようとした瞬間、雨に濡れた石段に足を取られたか、したたかにドシンと転んだ。 なんと不注意な・・・と相変わらずのオノレの不恰好を嗤いつつ、今度は細心の注意を払い、あらためて慎重に歩を進め・・・ようとした瞬間、再びドスンと転倒。 流石に何となく不穏なモノを感じ始めたので、今度こそは何事にも至らぬよう、今まで払った事もない程の注意を足先に払いつつ、殆ど禹歩の如く、一歩、また一歩と慎重に慎重に足を運んで・・・いたにも関わらず、景清塚の辺りで、三度目のドスン。 八幡神だけでなく儂の事も忘れてくれるな、と男山先住の地主神が、小手調べのちょっかいで手荒に遊んで下さったに相違ない・・・などと嘯きつつ、私の最初の男山探訪はお仕舞。 ![]() ↑八幡巡礼 〜薦神社・三角池〜 ↓八幡巡礼 〜石清水八幡宮 其弐〜 ©HIRANO Ichiro 2009 ▲
by uramarebito
| 2009-12-07 00:44
| 探訪
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●「八幡縁起」初演のお知らせ
石清水八幡宮の鎮座する男山は、さながら神仏の迷宮である。 壮麗な本殿は勿論、その本殿を取り囲む幾多の摂社末社に加え、山上から麓にかけての古社小社、さらには無数ともいうべき僧坊の跡が点在する。 現在でも堂々たる威容を誇る石清水八幡宮ではあるが、その往年の姿は、神仏混淆をいち早く成した八幡宮ならではの、さらなる壮観であったに違いない。 私が訪れたのは昨年5月、春雨のとある一日。 男山にある全ての摂社末社に至るまで巡拝しようと、雨に濡れつつ只管に彷徨い歩いた。 ![]() まずは本殿へ。 長い石畳を渡ると立派な南総門が奥に見えてくる。 ![]() 後に源氏の守護神とも成った八幡神。 謡曲「弓八幡」でも知られるように、弓矢の霊験に名高い八幡宮らしく、参道脇にも矢を象ったモティーフがそこここに。 南総門を潜り抜けると、八幡三神を祀る八幡宮本殿が現れる。 ![]() この堂々たる楼門の内には、八幡造と呼ばれる六宇の寶殿(正殿三宇+禮殿三宇)が壮麗な本殿を成している。 中御前に応神帝。 西御前に比咩(ヒメ)大神。 東御前に神功皇后。 そして本殿敷地の北西(戊亥)隅には、しばしば猿田彦とも浦嶋子とも噂される謎の翁・武内宿禰を祀る武内社があると謂う。 ↑八幡巡礼 〜石清水八幡宮 其弐〜 ↓八幡巡礼 〜大元神社〜 ©HIRANO Ichiro 2009 ▲
by uramarebito
| 2009-12-04 14:02
| 探訪
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●「八幡縁起」初演のお知らせ
九州は大分県宇佐市、宇佐神宮の南東に聳える馬城の峯(まきのみね)に、宇佐神宮の奥宮・大元神社がある。 ![]() 馬城の峯は別名大元(オモト)山=御許(オモト)山ともいい、遥か神代、宇佐神宮ニの御殿に祀られる比売大神(ヒメノオオカミ)が降臨した、とされる場処。 ここは拝殿のみで神殿を持たない神社、つまり山そのものがご神体という神籬(ひもろぎ)の山。 この鳥居と注連縄の結界の向こうに、太古から信仰される三巨石があるという。 ![]() 山上に神々しく降臨する磐神(イワガミ)たる八幡神の最初の姿か、 その三巨石が比売大神・別名三女神の顕れである、とも。 なかなかの急斜面に四苦八苦しつつ、私がようやく辿り着いた昨秋のとある日、山上は清々しい大気に包まれ、神の山の無数の鳥たちが、木立の中で秘めやかに鳴き交わすのが聴こえていた。 ところで、この御許(おもと)山の名は、この地に産する常緑植物=万年青(オモト)から来たのだ、という一説がある。 そういえば、石清水八幡宮の内殿を禰宜の西中道氏にご案内頂いた折、神殿を彩る極彩色の絢爛たる紋様の中に、異国の鳥や獣、花々に混じって、数多の万年青が唐草よろしく青々と葉を茂らせていた。 万年青は江戸期に縁起物の園芸植物として熱狂的に愛好された常緑草。 彩色モティーフとしてはなんら珍しいものではない、にも関わらず、 この万年青は、紋様を描く絵師が仕掛けた宇佐・御許山と石清水・男山を繋ぐ、密やかな象徴符号だろうか、そんな奇態な連想がふと過った。 ↑八幡巡礼 〜石清水八幡宮 其壱〜 ↓八幡巡礼 〜志多羅社跡〜 ©HIRANO Ichiro 2009 ▲
by uramarebito
| 2009-11-20 18:12
| 探訪
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