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![]() 日出ずる処、牧神の目覺め。 (Le Réveil d'un Faune dans le Soleil Levant / Florent Charreyre - hautbois | Thomas De 記事ランキング
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うれしい報せが Waon Recordsから。 本日発売のレコード芸術4月号、3月3日リリースのCD《四季の四部作》が、現代音楽領域で唯一の特選盤に選ばれました。 それにも益して感慨深いのは、名うての辛口論客・長木誠司/白石美雪両氏の評。いかなるアコースティック音楽と同様、言うまでもなく舞台上演を前提としたこの作品を敢えてCDとして問うたことに、的を射た評価を異口同音に示されている事。 ![]() 《四季の四部作》をCDで、という話に、日ごろ信頼する何人もの方から、なぜCD?せめてDVDでは?と言われた。その方々がそう思われるのも無理はない、はじめに舞台上演でこの作品に触れた人は、そのあまりに強い視覚的インパクトの為、そこから所作や表情を抜き取った時いったい何が残るのか、と危惧を抱かれるのも当然といえば当然だから。 にも関わらず、「おとづれ は あらはれ に さきだつ」と呟きながら、最初はどうしてもCD!と拘ったのは、当方自身この《四部作》が言わば〈もうひとつの絶対音楽〉足り得る、と確信し、その事を明確に"感覚"して頂くには、むしろCDこそ相応しい、と考えたから。 ![]() 両氏の批評、とりわけ、よりラディカルな白石氏のそれは、当方にとって、"怒る"なんてとんでもない、よくぞ仰って下さった! あのジョン・ケージの「4'33''」と、まるでその対極に位置していそうに見える例えばR・シュトラウスの「英雄の生涯」だって、まずは万象の"聲"に己の耳を開くことにはじまり、それぞれの自由に拠って音の発現たらしめる、そのことにおいては実はそっくり。 《四季の四部作》を是が非でも抽象概念化しストイックに捉えたい向きは、例えば「無伴奏女声独唱の為の4つのエチュード」とでも看做して頂いて大いに結構。何なら「無伴奏女声独唱による四楽章の組曲あるいは交響曲」とでも。そうやって考えを一巡りさせてみれば、《四季の四部作 ー 春の歌/夏の歌/秋の歌/冬の歌》と呼ぶことに、結局なんの問題もないことがわかるだろう。 抽象と具象はつまるところ表裏一体。何でも一つに断じたがる人間の認識の、その境界を融通無碍に行き来する自由な感覚や精神があればよい。 * * * 当方にとって「絶対音楽」とは、「標題」の有無とは何の関係もない。 「音だけが全て」 なのではなく 「音の中に全てがある」 ということ。 ///////////////////////// 『…45分ほどの全曲に散りばめられた声の表情、音の表情だけの演出も十分に作品の一定の側面を伝え、ステージとは別の存在感を得ていると思った次第。…作品は、いわば季節ごとに自然や世間に聞こえてくる音たちを、その音霊を含めた一種のサウンドスケープとして蘇らせようとするもので、それを吉川は声と身ひとつから出せるあらゆる可能性を駆使して、憑依した巫女のような響きの相貌で驚異的な集中力をもって上演しきっている。…憑かれたような囃子で高まっていく〈秋の歌〉など壮絶だが、季節感にとらわれずに聴くのも自由だろうし、十分に伝わるものがある。』(長木誠司氏評より) 『日本の風土に根ざした霊的な、あるいは宗教的な世界が平野一郎の発想の根源にあったとしても、聴き手がそれにこだわることはない。虚心坦懐に耳を傾けるだけで、このCDから聴こえてくる響きはおもしろい。…これらがすべて、吉川真澄の体から放たれた音響だというだけで驚きだ。…ライヴで聴くと、静寂から立ちあがる声の威力は神秘性を感じさせるにちがいない。でも、そうしたオーラを拭い去っても、おそらく音楽として成立する。ジョン・ケージの歌と比べたら怒るかもしれないが、平野が風土と呼ぶ背景も、ケージが偶然性の思想の裏付けとする自然も、このような自由な音の発現をもたらす点では近い。…この音楽をききながら、季節の移ろいを感じとる人も多いだろう…ただ、そのような聴き方こそが正しいものとするなら、逆に聴く人のファンタジーを狭めてしまう、いや歪めてしまうのではないか。驚異的な吉川の身体能力と能楽堂での録音のすばらしさ、それを引き出した平野の音作りを評価したい。』(白石美雪氏評より) ![]() ■
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by uramarebito
| 2018-03-20 22:41
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ワオンレコードよりまもなくリリース!
最新CD 平野一郎 《四季の四部作》 春 夏 秋 冬 3月3日の発売を目前にして、 アルバムリリース記念公演・第一弾の情報解禁! * * * 平野一郎×吉川真澄
かたらひ 春 夏 秋 冬 めぐる季節にいのちを感じ、 ![]() ◎演奏曲目◎ ◎対談・鼎談◎ 2018年4月28日(土) 制作:ウタドリ生活 ●フライヤー● アートワーク:前田剛志 デザイン:才村昌子 ![]() * * * 晩春の能楽堂に響く、 吉川真澄の渾身の歌と、 考古学者・作曲家・美術家による対談・鼎談。 限定100名。 ご予約はお早めに! (C)HIRANO Ichirô 2018 ■
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by uramarebito
| 2018-02-24 23:55
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最新CD 平野一郎 《四季の四部作》 春 夏 秋 冬 ワオンレコードよりリリースです! ![]() tr.1 春の歌 FRÜHLINGSLIED tr.2 夏の歌 SOMMERLIED tr.3 秋の歌 HERBSTLIED tr.4 冬の歌 WINTERLIED 無伴奏女声の為の für eine Frauenstimme ※他に類いなき詩情と音調の妙なる"結婚"を成した 豊穣なるドイツ・リートの世界への敬意を籠めて 本連作の欧題を敢えてドイツ語としています。 [演奏] 吉川真澄(女声) [使用楽器 ] 息、声、口笛、手、足、躯、頭、鈴、鐘、団扇、南天の枝束 etc. ![]() 録音:小伏和宏 デザイン:才村昌子 写真:豊永政史 アートワーク:前田剛志【春の絵|夏の絵|秋の絵|冬の絵】 文章:平野一郎、吉川真澄、小伏和宏 ※Apple music/iTunes でもCDと同日リリース予定(WAONCD-330C) 配信用は、わずかにダイナミックレンジを圧縮した聞きやすさ重視の音源です。 44分にわたり吉川真澄さんたった一人、全身全霊で奏で続ける孤高の歌曲。気配にも似たざわめきから魂の叫びに至る四季に鳴り響く万象(ものみな)を辿る旅が、能舞台の空間で縦横無尽に繰り広げられます。2015年度サントリー芸術財団〈佐治敬三賞〉を受賞した公演の主軸曲、平野一郎作曲《四季の四部作》「春の歌」「夏の歌」「秋の歌」「冬の歌」を、京都の能楽堂・嘉祥閣に於いて収録。演奏されたままの広大なダイナミックレンジを保持した高品位録音。スーパーローノイズで静寂さえも記録する、電流伝送マイク(ピュアートレコーズ製)を使用したペアマイクステレオDSD録音。高音質CD"HQCD"で制作しています。普通のCDプレーヤやカーオーディオでも再生できます。音量を上げすぎず、かすかな気配を感じつつお聞きください。 〜ワオンレコードHPより * * * * * * * おとづれ は あらはれ に さきだつ 〜《四季の四部作》初録音、『春 夏 秋 冬』リリースに寄せて。〜 無伴奏女声独唱の為の四部作「春の歌」「夏の歌」「秋の歌」「冬の歌」は、ソプラノ歌手・吉川真澄氏の委嘱によるものです。はじめに打診を受けたのは2013年、初演を定めぬ無期限の依頼でしたが、14年3月思いがけず「春」の着想が訪れたのに始まり、その後はまさに季節の廻りに導かれるように次々と生まれて来ました。そうして出来上がった連作は、奏者の身体をいわば依代【よりしろ】として、此の風土に響く様々な音声【おんじょう】の淵源を辿ると同時に、特殊発声やボディ・パーカッションを含む表現の可能性を極限まで追求するものとなりました。 「春」「夏」「秋」「冬」いずれも日本各地でそれぞれに再演を重ね、その度にある種の驚きをもって迎えられました。2015年《四部作》全曲初上演を軸とする〈デュオうたほぎリサイタル2015〜春夏秋冬〜〉ではひときわ大きな反響を頂き、同公演がサントリー芸術財団より佐治敬三賞を受賞、「これらの作品は、季節の自然に満ちる声音を特殊発声やボディ・ランゲージをも用いる無伴奏声楽曲としたものであるが、どの曲も原初への独創的な探究を踏まえており、太古の霊的な響きがいま呼び覚まされるような趣がある。吉川はその襞に深く入りこみ、巫女のようなひたむきさでその霊性を表現して、会場を一種宗教的な感動に包んだ。」(佐治敬三賞・贈賞理由)と賞されました。その後も2017年2月には同四部作を柱とする京都芸術センター主催公演“四季の遊び”が開催されるなど、評価と共感の環が徐々に広がっています。 この度、録音家・小伏和宏氏による録音とデザイナー・才村昌子氏によるパッケージングにより質の高い数々の名盤を世に送り出すワオンレコードから、アルバム『春 夏 秋 冬』としてリリースされる運びとなりました。監修に携わった同レーベルの『花影の小径』『日出ずる処、牧神の目覺め。』に続く、当方としては初の全曲自作品のみによるアルバムです。 2017年春なかば、京都御所近くの能楽堂・嘉祥閣にてレコーディング。ブックレットには写真家・豊永政史氏による録音風景の写真に加えて、2011年のモノオペラ「邪宗門」以来の異分野の盟友、美術家・前田剛志氏による《四部作》に寄せる四つの”絵”があしらわれます。 言うまでもなく生演奏=舞台上演が前提である声楽作品、とりわけ所作/黙示によって現れる象徴を多く纏ったこの《四部作》を、敢えて眼を閉じ響きだけで展かれる小宇宙としてお届けすることに決したのは、ひとえにワオンレコードの"録音芸術”への志に共鳴したからに他なりません。 “訪れ(sound)”は“顕れ(vision)”に先立つー母胎の中で視覚より先に聴覚を得て世界に接する私たち。この録音はいわば、巡る季節に包まれた生と死の汀【みぎわ】を通う、原初の記憶を辿る道、でもあるでしょう。歌う人の息づかい、能舞台の佇まい、何ものかの兆しまでもが封印された響きを透して、耳と心を開き澄ませば“あらはれる”調べの奥の別世界に、魂を遊ばせて頂けたら幸せです。 ■
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by uramarebito
| 2018-01-23 17:07
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去る8月4日(金)、拙作の再演に立ち会うべく、神奈川県相模原市の相模湖交流センター、行って参りました。
目下作曲中の交響神樂第三番〈羅摩船〉に後ろ髪引かれつつ、秋に初演予定の「東春西秋」の名古屋での打ち合わせを経由して、文字通りの弾丸ツアー。 短時間の滞在でしたが、いろいろと印象深かったので、備忘を兼ねて綴ります。 * * * パーカッショニスト・加藤訓子さんのアーティスティック・ディレクションによるこの音楽祭。 都市の喧騒を離れた相模湖畔の素晴らしい会場で、加藤氏の経験と工夫と閃きに溢れた様々なメニューが4日間に亘って展開されています。 ![]() ![]() 到着するとホールでは、加藤訓子さんのクセナキス:プレイアデスのワークショップの真っ最中。 数多の金属の奏でる絶妙の微分的揺らぎに興味津々で舞台袖から聴き耳を立てていたところ、ワークショップ終了後すぐにスタッフの方から「ちょっと鳴らしてみます?」と心安く誘って頂きました。(楽器の写真は畏れ多いので、ひしめき合う"マレット"の方をご覧下さい) ![]() その後、のんびりと供される当館名物のダムカレーで腹ごしらえし、 ![]() リハーサルまでの空き時間を利用して、じつは朝からそわそわずっと気になっていた相模湖の畔に足を運ぶと、その光景に心底ビックリ! ![]() 駅を降りたときから、そこはかとなく予感が湧いていたのですが、間近で見る相模湖がまさにそれと同じ雰囲気。 ![]() 閑話休題、狐につままれたようないい気分でホールに戻るとほどなく、ギャラリースペースにて、相模湖交流センターの秋山道夫館長、良質なオーディオとレーベルで知られるLINN JAPANの古川雅紀氏、くにたち市民芸術小ホールのプロデューサー・斎藤かおり氏によるトークイベントを拝聴。プロデュース面に携わるお三方それぞれから、面白くかつ深く頷ける、ユーモアと愛に溢れた貴重なお話を聴かせて頂きました。(極私的には、秋山館長のお話に登場した相模湖底に沈んだ村[勝瀬村]、というフレーズには、少なからず戦慄を覚えました。) ![]() 続いて、武満徹、林光、間宮芳生、クルターク、ケージ…それぞれの世界をその内側深くから結びつける吉川氏ならではの表現、というより体現に、心から納得し愉悦し満足しました。 そして最後の「秋の歌」。今春のレコーディングで徹底的に細部を磨き抜いた上で、それゆえにそんなことを全て忘れさせる、足許から烟がたつような、圧倒的なパフォーマンス。加えて、「再演」などという言葉ではとても片付けられない、作品に内包された可能性を汲み尽くそうと果てしなく挑戦を続けるその姿と、底を貫く使命感に、協同者ながら深く感じ入りました。 ![]() お誘い頂いた打ち上げでは、思いがけず乾杯のご挨拶を仰せつかり、都市の喧噪を離れて音楽に没入出来るということの得難さ、「音の中に全てがある」等々、高揚にまかせてお話しさせて頂きました。 その後も、秋山館長、斉藤氏、古川氏はじめ、吉川氏の前のリサイタルで清新な演奏を聴かせて頂いた鈴木彩さん等々、そのほとんどが初対面の方々である事も不思議と忘れて、様々に語り合うことが出来ました。 膨大な数の来場者を集めて消費の限りを尽くす"方式"とは一線を画した、音楽への真摯な志に導かれているであろう、この音楽祭。 音楽家とそれを支える多くの人達が自発的に心通わせ、耳を澄ませ合い、束の間の共同体となる、その在り方そのものがひとつの理想を指し示していると感じました。 当方はひょんなことからその一部分に参加させて頂いただけですが、此処に醸されたかけがえないエトスに浸り、幸せな時を過ごさせて頂きました。 * * *
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by uramarebito
| 2017-08-09 08:33
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来る8月4日(金)、
神奈川県相模原市の相模湖交流センターにて、拙作が上演されます。(女声独唱:吉川真澄)
* * * * * * * その上演が行われる音楽祭は、世界的パーカッショニスト・加藤訓子さんのアーティスティック・ディレクションによるもの。音楽祭と演奏会の詳細は以下のリーフレットにて。![]() ![]() ![]() ![]() inc. percussion days 2017 sagamiko
inc. dual recital@hall
鈴木彩(perc) vs 吉川真澄(sop)
[日 時] ※このうち吉川真澄氏によるリサイタルは18:30ごろからの一時間程度 [場 所]
[演 奏] ソプラノ:吉川真澄 inc. ヴィブラフォン:浜田均
[曲 目] J.ケージ/18回目の春を迎えた素晴らしい未亡人
[入場料] One Day Pass: 3,000円、All Day Pass: 6,000円、1 Year Pass: 10,000円
[お問い合わせ] 042-682-6121
* * * * * * * ![]() 相模湖畔の素晴らしいロケーション&アコースティックの会場だそうですので、真夏の夕涼みがてら、ぜひぜひ御来聴下さい! ©HIRANO Ichiro 2017 ■
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by uramarebito
| 2017-07-27 08:02
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さる12月3日(土)、京都府もとい丹後國・宮津は"みやづ歴史の館文化ホール"に於きまして、 平野一郎プロデュース◆DUOうたほぎリサイタル◆ 〜春 夏 秋 冬〜 in 宮津 大盛況のうちに、ぶじ終了致しました。 * * * 圧倒的なパフォーマンスを展開して下さったDUOうたほぎのお二人=佐藤紀雄さんと吉川真澄さんをはじめ、お忙しい中駆けつけて下さった多くのお客様、ホールスタッフの皆様、そして多忙の中八面六臂の活躍で公演をサポートしてくださった"DUOうたほぎリサイタルin宮津"実行委員会及び"朋の会"のみなさま、この場をお借りして心より感謝申し上げます。 * * * ![]() 京都市内の自庭、約一年で伸びにのびた南天の枝の"収穫"にはじまった公演への数日、宮津市内に入ると街角のそれこそ至る所に春夏秋冬のポスターが。 ![]() 鏡のような宮津湾に面した"みやづ歴史の館"が今回の公演の舞台。 ![]() こちらはいわゆる多目的ホールなので、その音響は確かにデッドなのですが、DUOうたほぎのお二人奏でるソプラノとギターの響きは、不思議なほどに一番後ろの座席までよく届きます。 雛壇を二組並べてシンプルにスポットライトが当てられると、極小の非日常なる劇場空間が、ふわりと浮かび上がりました。 ![]() ![]() ![]() * * * 公演には、地元の宮津と丹後一帯はもちろん、京都・大阪・神戸・東京、果ては北海道からも、多くのお客様が駆けつけて下さいました。演奏が始まると、満場のお客様は固唾を呑んで、響きの奥に森森と耳を澄ませ、別世界へと次第しだいに誘われます。そのさまは、DUOうたほぎのお二人から放たれる音の雫が、闇に青めく凪の海に波紋をなしつつ吸込まれていくよう。奇跡のような瞬間を無数に孕みつつ、少し怖いくらいの静かで厳かな時空が生みだされていきました。 とりわけ印象的だったのが、まさにこの地を故郷とする「夏の歌」上演。いわゆるオカルト趣味ではないですが、演奏の最中にスクリーンにひとりでに映り込む無数の光や、様々な方位から弾かれる謎の音が、吉川さんの声に応えるようにざわめいたこと。演奏後の休憩中に恩師・辻阪乙絲子先生はじめ幾人かのお客様と言葉を交わしましたが、そんな風に感じたのは当方一人ではなかったようです。この地に宿る無数の精霊(しょうりょう)たちからの祝福である、と当方なりに受け取りました。 * * * そして圧巻は後半の佳境。「シークレット・ラヴ」の艶やかなギターソロから「冬の歌」の女声独唱、そしてダウランド「来れ深き眠りよ」へ。ダウランドの美しい節が巡るうち、ふとソプラノが歌を止めて退き、ひとり残ったギターソロが絶妙(!)の即興を交えつつ弾き続けるも、いつしかオルゴールが止まるように凍り付く。ふと舞台裏から鈴と跫の音連れが聞こえたかと思うと、転がるようにわっと飛び込み駆け回るサルメ。「ミアレ!(御生れ)」と叫び降臨する猿女の、猥にして逞しい再生の歌と舞踏は、作り手のやりたい放題の妄想をすらいともやすやすと超える、爆発的な瞬間でした。他方、その決定的瞬間をみごとに演出したのは、絶美のソロで導き、しかも誰にも気取られずいつのまにか舞台を去っている佐藤紀雄氏の、絶対的な舞台感覚!そしてお二人による最後の「りゅうのこもりうた」は丹後半島の風土の底、現代の瘴気の霧の中に眠る龍への呼び声のように痛切に響き、鳴り終わった後、満場が十数秒間の呪縛に掛かった様は忘れられません。この歌の体験が、口数少ない丹後びとの精神の奥に隠された反骨の魂に、何かを灯した事を祈ります。 * * * ![]() 畏れ知らずにもプロデューサーとして花を持たせて頂いた手前、あの佐治敬三賞受賞公演へのレスポンスを、と敢えて試みたもう一つの結末は、皆様にどのように響いたでしょうか。 ![]() 終演後のサイン会や実行委員交流会、公演のアンケートその他みなさまから続く多くの反響から、公演そのものの必然としてごく自然に衒いなく受け止め・受け入れて頂けたという手応えを感じ、深い安堵と歓びを感じている次第です。 ![]() サルメという力強い輩(ともがら)を得たサルタヒコの神の御業にあやかり、また作曲家・平野一郎・朋の会発足をはじめ広がりつつある皆様のお力添えに真に応えるべく、いっそう精進と物狂いを極め、未踏の領域に道を弛まずひらいて参りたいと決意を新たにしております。 最後にあらためてもう一度、公演の成功の為に身を粉にして奔走して下さった皆様、ご臨場賜った皆様、ありがとうございました! ![]() * * * それでは、みなさま、素敵な師走を! ©HIRANO Ichiro 2016 ■
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by uramarebito
| 2016-12-05 10:59
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去る11月19日、圓山記念・日本工藝美術館での
MYOCHIN 講演・コンサートと「音」のワークショップ と、その中での、"明珍の音"を伴う拙作「夏の歌」特別篇、 はるかなる夏の歌 の初披露、無事終了いたしました。 まずはご縁をお与え頂きお心を砕いて支えて下った井尻益郎先生と圓山記念日本工藝美術館の皆様、ハードな日程と条件にも関わらずみごとに演じて下さった吉川真澄さん、そして妙なる響きを世に伝えて下さった明珍宗理氏、明珍宗裕氏、明珍敬三氏はじめ明珍家の皆様に、この場をお借りして深く御礼申し上げます。 演奏の後、ご来場者の皆様から、昂奮に溢れた様々な熱いご感想をたくさんお伝え頂き、新たな挑戦への手応えと勇気を頂きました。 明珍火箸の継承者・明珍敬三氏とも様々な言葉を交わすことが出来、畏れ多くも「工房へぜひお越しを!」とご歓迎頂きました。 この度の「はるかなる夏の歌」は、文字通りのワーク・イン・プログレス。 はじめての邂逅となった「明珍の音」からの触発を受けて、ここから更なる音の彼方への旅は、いま始まったばかりです。 ![]() すでに名高い「明潤琴(みょうじゅんきん)」や音も姿も星々を想わせるチタン製の「おりん」、ピアノ線やチタンから生まれた「火箸風鈴」の数々。 そのいずれもが、音階という名の牢に閉じ込められ飼い馴らされる前の音、天地創造の古から宇宙の際へとつづく原初の振動=響きをそのままに宿すかのようでした。 しかしその中でも、作曲者、演奏者ともどもすっかり虜になったのが、古式のたたら製法による玉鋼で作られた火箸の、霊妙極まる響き。 ところで、この日のご縁の結び、そのキーワードは、何と言っても出雲。 出雲國の神話・伝承・風土に基づく当方の《連作交響神樂》にて、明珍火箸を導入するのですが、そのリサーチを兼ね出雲芸術アカデミーと「出雲の春音楽祭」の芸術監督・指揮者の中井章徳氏とそのご一行がご多忙のさなか奇跡的にご来場が叶い・・・なんとこの日、特別ゲストとして、その古式のたたら吹きを現代に復活させた村下(むらげ=たたら製鉄の責任者)木原明氏が、奥出雲は大呂からご来場されたのです。 峨峨たる岩山が点在する播磨の此処には、何やら底深い磁力が働いているような… 会場二階の展示室には、小槌を携えた大黒様が、しずかに微笑んでおられました。 ![]() 館長・井尻益郎先生と ![]() ©HIRANO Ichiro 2016
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by uramarebito
| 2016-11-21 11:24
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来る11月19日、播州・姫路にて新たなる邂逅です。 拙作 が、「明珍の音」と出会います。 明珍MYOCHINとは…播州姫路の鍛冶師一族・明珍家に秘伝される鍛鐵の技により産み出された工藝品。 楽器としてのMYOCHIN達がこの度のお相手。歌い手はもちろん、吉川真澄氏。 彼方の星籟に導かれ、遠い記憶を辿るように奏でられるこの度の音楽は、いわば はるかなる夏の歌 この新たな邂逅、お心付きの皆様、ぜひご臨席頂き、耳を澄ませてみて下さい。 * * * MYOCHIN 講演・コンサートと「音」のワークショップ [日時] 11月19日(土)13:30〜 先着80名 [場所] 圓山記念・日本工藝美術館 ●講演● 井尻益郎館長「明珍の音」 ●コンサート● 平野一郎作曲「夏の歌」〜明珍の音を伴う特別篇〜 (ソプラノ/吉川真澄) ●ワークショップ● 明珍の音と日本の音を体験 ![]() * * * * * * 学生時代、私が強く魅せられた先生が居られた。井尻益郎先生。講義名こそ"日本音楽史"であったが、その実は、常識的カテゴリーなど易々と越境し、古今東西の様々な事象の本質を融通無碍に往来する驚くべきもので、何より全てを見通す仙境の賢人の如き先生の底深い語り口と発せられる言葉のしずかな迫力に、若輩はただ圧倒され酔い痴れるばかり。到底それを逐時ノートすることすら能わず…「際(きわ)」「奥(おく)」「間(あいだ)」「道行(みちゆき)」「縁」「超伝達」「共時性」「鏡=彼我見」…心に響くキイワードを掬いとっては、只管つぎつぎと現れて消えるヴィジョンを脳裏に灼き付けていた。卒業後十余年、不思議なことに井尻先生の講義は、まったく色褪せることなく心内に残っていて、ことあるごとに鮮やかに甦り、精神の最も奥深い処で感化され続けている。(ある講演会のお知らせより) さてこの度のご縁、学生時代より決定的な感化を頂き、今も変わらず敬愛する恩師・井尻益郎先生からのお誘いが発端。 井尻先生の講演と共にする拙作の上演は、5年前のあの時に引き続き今回で二度目。 その時の感激を憶い起こしつつ、素敵な予感に時めきながらこの夏再び出かけた姫路にて出逢ったMYOCHINの妙なる響き、それがちょうど10年前の本ブログにも記したところの、海中にて当方の頭蓋に響く水の中の音楽に瓜二つ。 ・・・海の匂いや波の感触に、異常なまでの陶酔を覚える私は、十数年来、海に行くと必ず両耳が水に浸かる状態で、飽くことなく水死体のように浮かぶ、という奇妙極まる習慣を身に付けた。波打ち際の砂が、波に洗われて、チリチリチリ、キラキラキラと立てる微かな音の揺らぎ。まるで粉々になった美しい金属片が、耳ではなく、頭蓋の真ん中で、響き渡るような感覚。私もこれまでいろんな水の中に、耳と身体を差し込んで音と振動を探索してきたが、やはりこの、脳髄の中の波の音と振動、その心地良さに勝るものはなかった。お蔭で暫くの間、浸滲性中耳炎に悩まされることとなったが・・・ 先生にそんなこんなをお話しすると「その浮遊術は古式泳法の一つの奥義ですよ」ともったいなすぎるお言葉…。 ともかくも、そんな音のシンクロニシティに導かれ、「ぜひ明珍の音を平野さんの音楽に!」という先生の言葉に、まずは夏の歌にその響きを宿そう、と迷うことなく思い立ちました。 夏の歌…この作品は、ソプラノ歌手・吉川真澄氏の委嘱に応え作曲した。生者と死者の魂が往き交いざわめく盂蘭盆会(うらぼんえ)の頃、重い陽光に照らし灼かれた日本の海辺の原風景を、一条の女声の裡に甦らせようとした。寄せては還す、息(生き)と海(産み)の波のあわい、遥か遠い妣(はは)の國から谺する<青の子守唄>の曲節が、次第に結び、また解けてゆく。 先生も直観されているように、当方もまた、この明珍MYOCHINは単なる打楽器というものを超えた、得体の知れない何ものかを携えて現れたように感じています。この度の夏の歌特別篇を皮切りに、「明珍の音」との間に起こるであろう数限りない触発の予感が、のみならず兆しが、すでにほうぼうに現れて来ています。さてこれからどうなることやら! ![]() ©HIRANO Ichiro 2016 ■
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by uramarebito
| 2016-11-11 17:11
| 演奏会
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![]() 平野一郎プロデュース ※未就学児童の入場はご遠慮下さい。 宝来屋22-4147/大森楽器 22-2455/浪江書店22-3291 喫茶/花音(加悦)44-0022/欧風ダイニング・クッチーニ(野田川)42-0912 (10月初旬より順次発売開始) 【お問い合わせ】 DUOうたほぎ duoutahogi@gmail.com "DUOうたほぎリサイタルin宮津"実行委員会 tel&fax 0772-22-1246 ![]() リーフレットやポスターの画像素材は、異分野の盟友・前田剛志氏の山水画「蓬山之春」の一部分です。 ■
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by uramarebito
| 2016-10-01 01:48
| 演奏会
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![]() DUOうたほぎのお二人に導かれ、サントリーホールブルーローズでの佐治敬三賞贈賞式、行って参りました。ANAインターコンティネンタルホテルに移動しての祝賀パーティーでは、当方も壇上に呼び出され、「邪宗門」以来の吉川真澄さんとの協同から最近のノマド定期「龍を踏む者」にて佐藤紀雄さんとの協同に至る経緯など、たどたどしくも縷縷お話しさせて頂きました。 短い時間でしたが、祝賀会場では様々な方と語らいました。中でもバッハ研究で知られる審査員・磯山雅先生から、当方の活動への驚きと拙作への熱烈な共感を頂いたのは大きな励みとなりました。仏伊への憧れに生きる同時代の作曲家達の華々しい活躍を尻目に、コラールという根に立ち還りマタイという大樹を成したバッハの営みについて、得難い意見交換も。さらなる挑戦への勇気が湧いてきました。 DUOうたほぎの〈春夏秋冬〉、次公演は12月3日、当方の故郷・丹後國宮津市“みやづ歴史の館”にご来臨の予定!詳細は追ってご案内致します。ぜひご期待を! 吉川真澄(sop.)×佐藤紀雄(guit.) DUOうたほぎリサイタル - 春 夏 秋 冬 - 【東京公演】 【京都公演:(公財)青山財団助成公演】※ 選考委員:礒山 雅・伊藤制子・岡田暁生・沼野雄司・広瀬大介・水野みか子・宮澤淳一(敬称略・50音順) <贈賞理由> 吉川真澄と佐藤紀雄による「DUOうたほぎ」のリサイタル「春夏秋冬」は、対象と誠実に向かい合う姿勢がすみずみに至るまで感じられる、潤いに満たされたコンサートであった。軸になったのは、平野一郎の近作、女声独唱のための《春の歌》《夏の歌》《秋の歌》《冬の歌》で、このうち《冬の歌》が初演。これらの作品は、季節の自然に満ちる声音を特殊発声やボディ・ランゲージをも用いる無伴奏声楽曲としたものであるが、どの曲も原初への独創的な探究を踏まえており、太古の霊的な響きがいま呼び覚まされるような趣がある。吉川はその襞に深く入りこみ、巫女のようなひたむきさでその霊性を表現して、会場を一種宗教的な感動に包んだ。曲によってはよりたくましい解釈もありうるだろうが、全体が美しさをもってまとめられたのは特筆される。 佐藤紀雄は武満、バスケス、ヘンツェ、間宮の作品を演奏し、1台のギターからアンサンブル顔負けの多彩な表現力を引き出して、貫禄を示した。4つの平野作品をギター曲、イタリア歌曲、ドイツ歌曲をはさんでつないでゆく流れはよく考えられており、最後をダウランドの《来たれ、深い眠りよ》で締めくくる効果も卓抜であった。歌とギターとのコラボレーションが入念に行われ、ピアノ伴奏では得られない世界が開かれていたことも高く評価したい。外国語がセンテンスとして伝えられるようには彫塑されておらず、平坦な「歌詞」のように聞こえたこと、それもあって歴史をさかのぼる歌曲に掘り下げが不足したことは今後の課題として指摘しておきたいが、佐治敬三賞にふさわしい、まれに見る秀逸なコンサートであった。 ![]() DUOうたほぎ 吉川真澄 この度は大変栄誉ある賞をいただき誠にありがとうございます。私達のデュオのこれまでの活動の方針は、ギター伴奏による歌曲の模索です。時々のコンセプトに合わせ、大きくて派手で見つけやすい物の陰に隠れてひっそりしている様な作品達を好んで演奏してきました。2014年の2ndCD「うたほぎ」リリースに合わせ「DUOうたほぎ」と命名。【うたほぎ】とは、歌を祝ぐ/歌によって寿ぐ、といった意味の造語です。リサイタル〈春 夏 秋 冬〉はそのタイトルが表す通り、無伴奏独唱曲“四季の四部作”がきっかけです。作曲家・平野氏と吉川の協同の始まりは2011年のモノオペラ「邪宗門」。女声と15楽器と映像の為の上演2時間を超える壮絶な作品で、その独特の世界観にすっかり魅了され、いつか独唱曲を、と委嘱。2014年、季節の巡りと共に「春の歌」「夏の歌」「秋の歌」「冬の歌」が次々産まれて来ました。演奏する毎に反響が物凄く、春夏秋冬を通して聴きたいという熱いリクエストに背中を押されてチャレンジを決めました。平野作品を軸に、私達がレパートリーとする様々な国と時代の作品達、季節や人生、生きとし生けるもののドラマを奏でる歌達を選んで、願いを籠めたとりどりの短冊が笹を彩るように演奏会全体を設えました。多くの方の心に響いた事、本当に嬉しいです。今後も同じプログラムはもちろん、また新たな企画を考え届けて行きたいと思います。最後になりましたが、サントリー芸術財団、審査員の先生方、素晴らしい作品を書いてくれた平野一郎氏、その他の作曲家の皆様、いつも応援して下さる皆様、ご助力頂いた全ての皆様に、この場をお借りして心よりお礼申し上げます。今後とも宜しくお願い致します。 ![]() <公演概要> 名称:DUOうたほぎリサイタル2015-春夏秋冬- ○東京公演 日時:2015年12月17日(木)19:00 会場:東京オペラシティ 近江楽堂 ○京都公演 日時:2015年12月23日(水・祝)16:00 会場:青山音楽記念館 バロックザール 曲目: 武満 徹/「ギターのための12の歌」より 早春賦 平野一郎/春の歌~女声独唱の為の~ フランチェスコ・パオロ・トスティ/四月 ステファノ・ドナウディ/どうか吹いておくれ ジョアキーノ・ロッシーニ/フィレンツェの花売り娘 武満 徹/「ギターのための12の歌」より ロンドンデリーの歌 武満 徹/「ギターのための12の歌」より サマータイム 平野一郎/夏の歌~女声独唱の為の~ 平野一郎/秋の歌~女声独唱の為の~ エベルト・バスケス/落葉の時間 ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ/「ヘルダーリンの三つの断章」より 明るい青空に ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ/「三つのテントス」より トランクィラメンテ フランツ・シューベルト/「ミニヨンの歌」より そのままの姿でいさせてください 間宮芳生/「三つの聖詞」より アレグレット・トランクィロ 平野一郎/冬の歌~女声独唱の為の~(初演) ジョン・ダウランド/来たれ、深い眠りよ 主催・企画・構成・出演:DUOうたほぎ 吉川真澄(ソプラノ)、佐藤紀雄(ギター) 協力:平野一郎 ![]() ■
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by uramarebito
| 2016-07-22 07:51
| ニュース
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