ホームページ
カテゴリ
タグ
微笑
狂言
精霊舟
牧羊神
エキゾチシズム
秋
遊び
ガラシャ
海の幸
共感覚
春
夢
二十五
祭礼
國引
衢
鱗宮
近代化
円空
丹後
蒲原有明
別世界主義
三
平家
境界
交響神樂
北原白秋
小泉八雲
蜃気楼
猿田彦
象徴
将門
アヴァンギャルド
星巡
宮津
龍
イソップ
天探女
浦島太郎
原風景
八幡
宮澤賢治
聖地
出口ナヲ
邪宗門
魔睡
天草
安曇磯良
ゲニウス・ロキ
ケルト
白象
鏡
オクシデンタリズム
音色工房
水没伝説
遠呂智
33
風土
出雲
花影の小径
古丹波
アンスティチュ・フランセ
志多羅
夏
舘野泉
神話
春夏秋冬
四季
シルクロード
変容
最新の記事
以前の記事
2019年 01月 2018年 12月 2018年 10月 2018年 08月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 03月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 09月 2009年 07月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 最新のコメント
ライフログ
![]() 日出ずる処、牧神の目覺め。 (Le Réveil d'un Faune dans le Soleil Levant / Florent Charreyre - hautbois | Thomas De 記事ランキング
最新のトラックバック
検索
ブログジャンル
|
靑 木 繁 畫 蒲 原 有 明 ただ見る、靑(あを)とはた金(きん)の深き調和(てうわ)。 きほへる力(ちから)はここに潮(うしほ)と湧き、 不壊(ふゑ)なるものの跫音(あのと)は天(あめ)に傳へ、 互(かたみ)に調(しら)べあやなし、響き交(かは)す。 海部(あまべ)の裔(すゑ)よ、汝等(いましら)、頸(うなじ)直(す)ぐに、 勝鬨(かちどき)高くも空(そら)にうちあげつつ、 胸肉(むなじし)張れる姿の忌々(ゆゆ)しきかな、 「自然(しぜん)」の韛(たたら)に吹ける褐(くり)の素膚(すはだ)。 瑠璃(るり)なす鱗(いろこ)の宮を嚴(いづ)に飾り、 大綿津見(おほわたつみ)や今なほ領(しら)しぬらむ。 いかしき幸(さち)の獲物(えもの)に心(こころ)足(た)らふ 汝等(いましら)見れば、げにもぞ神の族(うから)、 浪うつ荒磯(ありと)の濱を生(いき)に溢(あふ)れ、 手に手に精(くは)し銛(もり)取り、い行(ゆ)き進む。 (岩波版自撰集『有明詩抄』[昭和三年]及び河出書房刊『定本 蒲原有明全詩集』[昭和三二年]に基づく) ![]() 来る7月16日、大阪府岸和田市・自泉会館での におきまして、拙作 UMI NO SACHI・TEMPYÔ NO OMOKAGE 蒲原有明の詩に拠る; ソプラノとピアノの為の二連画(ディプティーク) Diptych for Soprano & Piano; after KAMBARA Ariake’s Poetry (2013) の第一曲、 UMI NO SACHI (2013) が関西初演を迎えます。 演奏会の詳細はこちら。 [日時] 7月16日(土) 開場12:30 開演13:00(昼公演) 開場16:30 開演17:00(夜公演) [場所] 大阪府岸和田市 自泉会館 [出演] 吉川真澄(ソプラノ) 大須賀かおり(ピアノ) [チケット] 一般/3000円 「育てる会」会員/2500円 [お問合わせ] 「育てる会」事務局:TEL 072-439-0029(「鈴なり」内 浜上和美) ![]() ![]() ソプラノ&ピアノの為の「海の幸/天平の面影」(2013)は、日本孤高の象徴派詩人・蒲原有明が同時代の二画(青木繁「海の幸」・藤島武二「天平の面影」)への讃とした同名の二詩に拠る一双の歌曲。2013年春に作曲し、同年11月第30回現音作曲新人賞本選会にて初演(ソプラノ:吉川真澄、ピアノ:堤聡子)され、富樫賞および聴衆賞を受賞しました。 「海の幸」はその第一部。 海部の裔よ、瑠璃なす鱗の宮、大綿津見や今なほ領しぬらむ・・・ 歌曲という新たな額縁の中、息吹き込まれた言葉の群れは次第に波立ち曲節を帯び、海に纏わる種々を封じた美しき詩列のあわいから、やがて忘れられた水底の秘祭が被膜を破って立ち顕われる。 今回は初めての「海の幸」単独演奏、関西初演。 吉川真澄さんの声と大須賀かおりさんのピアノによって、どんな音世界が産み出されるか、趣きある会場・自泉会館にお運びの上、ぜひ深く耳をお澄ませ下さい! * * * * * * 〜〈海の幸/天平の面影〉 プログラムノート〜 この作品は、近代日本孤高の象徴派詩人(サンボリスト)・蒲原有明(かんばらありあけ)1875-1952の詩に拠る歌曲である。テクストとなる有明の詩は、青木繁(あおきしげる)1882-1911の同名絵画「海の幸」(α)と、藤島武二(ふじしまたけじ)1867-1943の同名絵画「天平の面影」(β)に、それぞれ触発されたもの。海/天、水平/垂直、群像/肖像、鄙振/都振、益荒男(ますらを)/手弱女(たをやめ)…様々な次元で対を成す画(美術)と詩(文学)の境に、未聴の歌(音楽)を仮想・介入させることで、画・詩・歌の照応(コレスポンダンス)としての、音によるニ連画(ディプティーク)を企てた。 有明は、高踏の極みたるフランス象徴詩の洗礼を経つつも、記紀万葉の古より伝わる荘重な日本語を振い起す。その詩世界は、時の遠近法というべき巧みな語彙操作を通じて、神話的古代と同時代=近代が響き合う時空。強靭な美を誇る詩文(エクリチュール)とその行間に、母音唱(Vocalise)・咒言(Incantation)・歌唱(Lied)・朗唱(Recitation)・語謡(Sprechgesang)・朗読(Narration)と凡そ6段階に大別される多様な発声(パロール)を持って分け入り、封じられた世界に息を吹き込んで新たな生命を呼び覚まそうと試みた。日本語の淵源に纏わる神話的豊饒と文語体の生来的曲節を踏まえ、現在から光を照らし独自の方法と結ぶことで、諸時代が交響する“古くて新しい”日本語歌曲を志したものでもある。 α/βはそれぞれ独立した作品でありつつ、相互に引用・参照・註釈する連作である。おのおの楽曲の中程に到ると、αには水底乃祭祀-ミナソコノマツリ-(神楽歌・咒言による架空の祭礼)、βには異国乃音曲-トツクニノハヤシ-(失われた箜篌[くご]音楽による架空の奏楽)という、詩列に埋葬された音世界を“復元”する〈樂中樂〉が登場する。歌曲としての本筋はそれを契機に歪曲・浸蝕・解体され、詩歌そのものの根源(ルーツ)をも仄めかしながら、散け綾なす脈絡をふたたび束ね織り進む。 ▲
by uramarebito
| 2016-07-07 20:33
| 演奏会
|
Trackback
|
Comments(0)
最後に・・・
初演直後の休憩中、何かしら血迷われた聴衆の方々に、不慣れ極まる"サイン攻め"に遭って以降、 敬愛する先輩作曲家をはじめ、得難いことに今も引き続く、想像以上に熱い反響のうちの一つを・・・ 東京から来聴されたF.Kさん、 「芦屋交響楽団の特質か会場のせいか、音がとても透明で柔らかいのがまず印象的でした。 鱗宮は、音が殆ど耳からはいらず、直接肌に触れてくるようでした。 "風"とも少し違うのですが。 なんというか、意志や思念、意味を持つ音として届いて来るのではなく、重層的な響きに包まれたり、漂っていたりする感じでした。 第一音が彼方からやってきて、膨らんで来ると、やがて拡がり漂いだす。 えーっと、羊水の中に漂って色んな事を味わいながら、最後にエナを破って生まれ出て来る。 そんな感じかな。 最後の波のようなフォルテシモの繰り返しは、生まれ出るエネルギーとも取れるけれど、生まれ出た途端雪崩込んで来る光の波のようにも感じられるし…… 面白くて、とても気持ちが良かったです 。」 をぐり伝説から近松門左衛門、泉鏡花に至るまで、迫真の一人語りを展開する、希有な表現者F.Kさんならではの、海=産みがキイワードとなった、新鮮極まるご感想。 F.Kさんをはじめ、作品の誕生に臨場し、深く遠く耳を澄ませて下さった多くの皆様に、あらためて心から感謝申し上げます。 とはいえ作品は産まれたばかり。 産んだ以上は育てて頂かなくてはならないワケで・・・ などと妙な睨みを効かせている暇もなく、 次なる仔を世に送り出すべく、愚親はイソイソむさ苦しい産屋へと、再び閉じ籠った次第。 (1) ©HIRANO Ichiro 2010 ![]() ▲
by uramarebito
| 2010-05-19 08:42
| 演奏会
|
Trackback
|
Comments(0)
ところで・・・
鱗宮交響曲は、100人の奏者を要し全曲アタッカ35分に及ぶ、拙作中では内容・規模ともに最大の作品。 昨年晩秋に始まった"産みの苦しみ"は、オーケストラの方々にとって、今振り返ってもおそらく想像を絶するものだったと思う。 芦屋交響楽団は、苛烈極まる作品の要求を真正面から受け止けるべく、長大な時間と労力と情熱とを、作品に注ぎ込み続けてくれた。 音楽への真摯なその姿勢は、言葉本来の意味で"プロフェッショナル"そのもの。 ようやく訪れた初演の時、最初の一音が呼び起こす波紋から、最後の壮絶なクライマックスに至るまで、一瞬たりとも途切れることなく、オーケストラが一つの生命のように息づいていた。 芦響団長・榎木氏が終演後いみじくもおっしゃったように、芦響の皆さんにとって、"産みの苦しみ"が"産みの喜び"へと劇的に変化した、のであれば、作曲家としてそれ以上の冥利はない。 そして、その素晴らしき芦屋交響楽団を魔法のようなタクトで率いられた指揮者・山下一史氏。 全ての楽譜を真に血肉化し、全身全霊で音に魂を籠めて、オーケストラに、そして全ての聴衆に言葉ではなく音楽で伝導する氏は、言うまでもなく、真のマエストロ。 当日、新作の前後に演奏されたメンデルスゾーン、そして何より入魂のシューマンは、人の心を揺り動かさずにはいない素晴らしい演奏で、私自身も何故か不思議に勇気づけられた。 「あなたは本当に幸運だ。芦響は温かい。オーケストラがここまで時間と労力を費やしてくれるという事はまずない事。そのことに、感謝すべきだ。」ことあるごとに氏は私に仰った。 練習の最中も、指揮者と作曲家の間には、ピリピリとした緊張が漂い、当然ながら最後まで、和気藹々といった風情とは無縁の関係。 その山下氏、全てが終わった打ち上げ二次会の席のたけなわ、最後まで残った団員を前に、熱を帯びた口調でしかし厳しさを崩さず、私を指してこのように仰った。 「音符をただ連ねる、なんてことは誰にでも出来る。そんな作曲家はゴマンといる。彼は音を本当に内側から紡ぐ事の出来る、数少ないホンモノの作曲家の一人だ。」 決して甘い賛辞ではない。これから打ち続く茨の道と、克服すべき幾多の課題を前にした私への、厳しい戒めの反語である、と受け取った。 (5) ©HIRANO Ichiro 2010 ![]() ▲
by uramarebito
| 2010-05-18 21:59
| 演奏会
|
Trackback
|
Comments(1)
一方、開演間際の舞台奥では・・・
![]() 謎の器具を用いて、何かに取り憑かれたように、一心不乱に大小の銅鑼の表面を擦り続ける男性たちの姿が。 ![]() とある香具師(=作曲家)の妄言に勾引されて始まった、彼らの地道な探究。 幻の怪物の呻きを発掘するべく、最初の全体練習からこの日に至るまで、手を替え品を替え続けられた。 うつむいた他団員の背中から、無言のうちに発せられる憐れみの眼差しにも、しばしば襲いくる空しき徒労感にも、決してめげる事なく・・・ これぞ!という理想の"呻き"が現出するまで、柄が折れ頭が潰れして、廃棄処分となった"器具"は数知れず。 人知れず涙ぐましい試行錯誤のかいあって、当日本番その空前の成果は、会場にお越し頂いた皆様ご存知の通り(?)。 (4) ©HIRANO Ichiro 2010 ![]() ▲
by uramarebito
| 2010-05-18 11:35
| 演奏会
|
Trackback
|
Comments(0)
初演の様子は・・・
〈I:舟歌〉での岡氏のチェロ独奏、小舟の上で釣り糸を垂れる漁夫の鄙び、これで烏帽子でも被れば古代絵巻の登場人物の生き写し、というばかり。完全に自家薬籠中のものとされたフナウタが、瞬く間に会場の空気を一変させた。 〈β:間樂〉の坂井氏のピッコロソロ、陽が翳ると一瞬にして冷たく感じられる時の、海に漂う幽玄の気配を現出させてくれた。 森川氏のアルトフルートソロは、時折水泡をゴボリと吹き出しながら呟かれる、海中の主のオソロシゲな魚語の咒文そのもの。 芦響が誇るコンサートミストレス・青木氏による〈II:挽歌〉でのヴァイオリンソロはもはや、深緑の古沼の水鏡に映る能面狂女の嗤い、かと言う程の美しさ。 有田氏の殺気に満ちた大太鼓の一打に始まる〈γ:式樂〉、長島氏のコールアングレが奏でる悠揚不迫のソロは、荒ぶる魂を秘めつつ厳粛な儀礼を司る神官の呼び声を彷彿とさせた。 いわば舞台上の鱗形、堤氏のピアノ、それに石本・石井両氏のハープからなる三角形の助演陣は、水辺・水中・水底の機織女が水の糸で織り上げた半透明の水曼荼羅の如く、長大な全曲を潤し煌めかせ纏め上げてくれた。 そして〈III:祝歌〉、芦響名物とも囁かれる能美氏のスラップスティックにしばしば区切られつつ展開する、天孫族と海棲族を結ぶオドロオドロしくも饒々しい婚礼の、永に醒めやらぬ直会の宴、オーケストラの放つ輝かしいトゥッティの響きの中に、多元的ルーツを美しく隠蔽した「日本國」誕生の、目出度くも呪わしい瞬間が、束の間顕現して消えた。 ・・・というのは、ヒドい幻覚症に冒された某作曲家の神話的妄想の一端・・・現実の会場の皆様には、もう少し穏当なる音像や心象が、各々の裡に去来し喚起されたに違いない。 (3) ©HIRANO Ichiro 2010 ![]() ▲
by uramarebito
| 2010-05-17 22:45
| 演奏会
|
Trackback
|
Comments(0)
去る5月15日(土)大阪はザ・シンフォニーホールでの
において、オーケストラのための新作 鱗宮交響曲 IROKONOMIYA-SYMPHONY (2009) の初演が、無事終了した。 ![]() 会場はさすがに満席とまでは行かなかったものの、なかなかの大盛況。 多くの聴衆とともに新作の誕生に立合えたことは、私にとっても大きな歓び。 新曲誕生の緊張に満ちた35分間、指揮者・山下一史氏から発せられる白熱したオーラがオーケストラの面々に鏡のように反射し、瞬く間に会場全体に届けられる、そのめくるめく波動を浴び続ける、希有な時間であった。 (2) ©HIRANO Ichiro 2010 ![]() ▲
by uramarebito
| 2010-05-17 10:01
| 演奏会
|
Trackback
|
Comments(0)
●「鱗宮交響曲」初演のお知らせ
毎春、出雲地方は島根半島の東端、松江市美保関町・美保神社にて行われる、 青柴垣(アオフシガキ)神事。 ![]() 大和への、出雲の〈国譲り〉を現した祭である、と謂う。 コトシロヌシは「天逆手(アメノサカテ/アメノムカイデ)」という所作をして後、青柴垣に身を籠めて、水底へと沈んでゆく。 ![]() 神の死と、国の終わり。 此の世でもっとも美しく、傷ましい祭。 祭の中、しばしば谺する警蹕(ケイヒツ)の音声。 ヲーーーォォォォォオーーーーーーーー ヲーーーォォォォォオーーーーーーーーーーー ヲーーーォォォォォオーーーーーーーーーーーーーーーーー・・・・・ 青柴垣神事での警蹕の音声、 私の内なる耳には、 大和に〈国譲り〉する出雲の神々と人々の、 曰く謂い難き万感が籠められているように響いた。 永遠の恭順か、 永遠の叛逆か、 答は神々のみぞ知る。 ![]() 私が初めてこの青柴垣(アオフシガキ)神事を訪れたのは、2006年春。 ピアノ五重奏作品「鱗宮」を作曲していた、その最中。 来る5月15日初演予定の鱗宮交響曲・第5章〈γ:水底乃式樂〉の音空間に、遠く深く耳を澄ませば、その記憶の遥かな谺が響いているかも知れない。 ©HIRANO Ichiro 2010 ▲
by uramarebito
| 2010-05-14 08:44
| 背景
|
Trackback
|
Comments(0)
●「鱗宮交響曲」初演のお知らせ
![]() 吾が列島神話に登場する海の神々は、 なぜだか常に三神一体で現れる。 まずは、綿津見(ワダツミ)三神。 海を垂直に領域化するかの如く、 α:水面には 上津綿津見神 ウワツワタツミノカミ β:水中には 中津綿津見神 ナカツワタツミノカミ γ:水底には 底津綿津見神 ソコツワタツミノカミ 次に、住吉(スミヨシ)三神。 β:水中には 中筒之男命 ナカツツノヲノミコト γ:水底には 底筒之男命 ソコツツノヲノミコト そしてあのサルタヒコが、伊勢の阿耶訶(アザカ)の海辺にて漁のさなかに溺れ死ぬとき、 与えられる三つの異名。 α:水面では アワサク(阿和佐久) β:水中では ツブタツ(都夫多都) γ:水底では ソコドク(底度久) 成る程確かに、吾が列島の水面/水中/水底は、各々に各々の神の領域、であるらしい。 更には、宗像(ムナカタ)三女神。 こちらは海を水平に領域化するかの如く、 β:中津宮 市寸島比賣命 イチキシマヒメノミコト γ:奥津宮 多紀理毘賣命 タキリビメノミコト こちらの三女神、 某曲初演の舞台上、 泰西の弾琴・竪琴を携え、 水辺・水中・水底にて糸を紡ぐ、 三人の機織姫に身を窶して、 降臨するとか、 しないとか。 ![]() ©HIRANO Ichiro 2010 ▲
by uramarebito
| 2010-05-11 22:06
| 背景
|
Trackback
|
Comments(0)
●「鱗宮交響曲」初演のお知らせ
2010年5月15日(土)大阪はザ・シンフォニーホールにおいて初演予定の、オーケストラのための新作 鱗宮交響曲 IROKONOMIYA-SYMPHONY (2009) のリハーサル、いよいよ佳境を迎えつつある。 昨日(4月29日)には、ついにピアノ1、ハープ2も加わり、マエストロ・山下一史氏を迎えての、ニ度目の練習。 総勢100名に及ぶ大編成がようやく勢揃い。 この大編成にはやや手狭な芦屋市民センターの音楽室は、ギュウギュウに犇めくプレイヤーで、もう凄まじい熱気。 瞬く間に作品の本質に迫る魔法のような山下氏のタクトを得て、幾重にも織り込まれた"鱗宮交響曲"の風景が、煌めく音の水泡の渦から、俄然鮮やかに立ち顕われて来た。 ここまで来ると、もはや作曲者の発する言葉も、子離れ出来ない愚母の寂しい呟き、という感じ。 練習後の"宴"にて、当団インスペクターのT氏がいみじくもおっしゃたように、この日は「作品が作曲者から演奏者へと受け渡された歴史的瞬間」となるのかも知れない。 もっとも、作曲者そして演奏者の、最後の産みの苦しみは、実はここから始まるのであるが。 ところで勿論、全体練習を担当された芦響団内指揮者にして某合奏団主宰の才人・山戸進氏、パート練習を担当された団内指揮者・藤田英樹氏による、深く鋭い楽譜の読み込みと、粘り強い導きがあってこそ、ここに至るまでの"地獄巡り"の苦難の道のり、(負傷者は多数なれど)一人の犠牲者もなく無事乗り越えられた、のであることは言うまでもない。 というわけで、 いよいよ秒読み開始となった「鱗宮交響曲」誕生の瞬間、 一人でも多くの皆様と立会える事を希うばかり。 どうかこぞって御来聴を! 2010年5月15日(土) 開場17:00 開演18:00 (座席引換は16:30より) ■場所■ ザ・シンフォニーホール(大阪) ■演奏■ 芦屋交響楽団 ■指揮■ 山下 一史 ■プログラム■ F. メンデルスゾーン: 序曲「フィンガルの洞窟」作品26 平野 一郎: 鱗宮(イロコノミヤ)交響曲(芦屋交響楽団委嘱・初演) R. シューマン: 交響曲第2番 ハ長調 作品61 ■入場料■ 2000円(当日座席指定) ■主催■ 芦屋交響楽団 ■後援■ 兵庫県/芦屋市/兵庫県オーケストラ協議会/神戸新聞社 ■前売プレイガイド■ 電子チケットぴあ:0570-02-9999 (Pコード 347-009) ローソンチケット:0570-000-407 (Lコード 59169) ABCチケットセンター(窓口販売のみ) ■問い合わせ■ 芦屋交響楽団 事務局 090-3671-4148(携帯) / 0797-22-9036(松島方) ![]() ![]() ©HIRANO Ichiro 2010 ▲
by uramarebito
| 2010-04-30 16:54
| 演奏会
|
Trackback
|
Comments(0)
●「鱗宮交響曲」初演のお知らせ
その"フナウタ"を織り上げつつ、三たび見た白昼夢。 兄ホデリノミコト=海幸彦に借りた大切な釣針を海に無くし、 海岸にて途方に暮れるホヲリノミコト=山幸彦。 何処からともなくふと顕われる、年老いた漁師・・・ に身を窶した、謎の翁=シオツチノオヂ。 水底への旅を希むホヲリに、 翁は藤蔓で編んだ籠舟=マナシカタマを与える。 海原を行く籠舟、水泡に霞む朱の甍。 ・・・・・ 海中の別世界=イロコノミヤに到着した天孫=ホヲリノミコトと、 それを迎える海神の娘=トヨタマビメの邂逅。 真水湧く水底の浜辺=ウマシオバマにて、 ホヲリとトヨの二人は歌でその愛を呼び交す。 後に永遠の別れを迎える時も、 二人はやはり同じ歌で呼び交すことだろう。 その相聞歌の二つの対照的な節回しが、 いつしか渾然一体となって、 遥か後の世、鄙の海人の"フナウタ"となる、ことになる。 二人が初めて愛を呼び交す時、 その遥か水面には、凪の入江に舟を浮かべる年老いた漁師・・・ に身を窶した、謎の翁=シオツチ。 函眼鏡で海中を覗いては、釣り糸を垂れる。 彼はさり気なく、唄い馴らした鄙の"フナウタ"を口ずさむ、振りをする。 口ずさむその旋律は、 今まさに海中で邂逅せんとするホヲリとトヨの愛の呼び交しが、 そしていずれ訪れるホヲリとトヨの永遠の別れの相聞歌が、 あらかじめ封じ籠められた"フナウタ"。 時折、函眼鏡で海中を覗くのは、 彼の仕組んだ"物語"が、恙なく運んでいるかを、確かめるため。 函眼鏡から顔を上げると、翁はほくりと北叟笑み、 ふと振り返って、私を見た。 その顔は・・・武内宿禰であった。 鱗宮交響曲-第1楽章"舟歌"、その中程に登場する、チェロ独奏が奏でる"フナウタ"。 その旋律は、吾が列島の浦々に伝わる海人の歌の、その精神に倣って作曲したものである。 閑話終題。 古代の歴史家は、"事実"という体裁で、愉楽に満ちた"虚構"を我々に与えてくれた。 かたや現代の小説家は、"虚構"という建前の下、退屈極まる"事実"を差し出すばかり。 The ancient historians gave us delightful fiction in the form of fact; the modern novelist presents us with dull facts under the guise of fiction. 〜オスカー・ワイルド :"意向集"より"嘘の衰退" 〜 〜Oscar Wilde: "The Decay of Lying" from "Intentions"〜 (一)に戻る ©HIRANO Ichiro 2010 ![]() ▲
by uramarebito
| 2010-04-22 23:13
| 背景
|
Trackback
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||